更新日: 2024年1月21日
高岡銅器は国内シェア9割以上!世界的鋳物の町への発展は前田家の高岡城下町への思い入れから
前田利長が高岡城に入城し、その城下町として開かれた高岡。高岡城はわずか6年で廃城になったため、城下町の賑わいは失われますが、前田家のもとで鋳造業が盛んになっていきました。
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高岡銅器で作られている高岡大仏と瑞龍寺法堂の屋根
高岡市大佛寺の高岡大仏(正式名称は阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう))は、奈良の東大寺や鎌倉の高徳院に並び、日本三大仏の1つ。像高は約16mと大きく、その見栄えの良さから「日本一の美男」とも呼ばれています。かつて、与謝野晶子は鎌倉大仏のハンサムぶりを歌に詠みましたが、その後高岡を訪れた際、この大仏を「鎌倉大仏よりも美男子」と評したという話もあります。この大仏は、単に街のシンボルというだけでなく、高岡の発展と歴史の象徴そのものなのです。
高岡銅器で葺かれた瑞龍寺法堂の屋根
大仏と並んで高岡で有名なのが瑞龍寺(ずいりゅうじ)。高岡の街を開いた前田利長の菩提寺です。もともとは法円寺という名前でしたが、前田利長の没後、法号の瑞龍院にちなんで改称されました。山門、仏殿、法堂(はっとう)が国宝に指定されています。仏殿が金沢城と同じ鉛屋根であることは知られており、これは前田家が有事の際に、屋根の鉛を鉄砲に使えるようにするためだったという説があります。法堂の屋根は銅板葺き。山門はかつて瓦葺きでしたが、昭和・平成の大修理で創建当初と同じこけら葺きに戻されました。
瑞龍寺で最古とされる仏像は、木造烏蒭沙魔明王立像(うすさまみょうおうりつぞう)。この仏様は禅宗の寺では東司(とうす)(トイレ)の守護仏として祀られていることが多いです。瑞龍寺ではこの仏様のお札を受けることができ、お札を目より高い場所に貼り、トイレをきれいにすると、不浄が祓われて病気平癒や子孫繁栄などがもたらされるといわれています。まさに「トイレの神様」なのです。
狩野派絵師の作品8点が所蔵されており、法堂天井の『雲龍図』は8年がかりで狩野探幽が完成させた大作です。ちなみに狩野探幽の母は、佐々成政の娘にあたる人物です。佐々成政は、一度は越中を治めながら、秀吉に領地を取り上げられ、その後に領地を賜ったのが前田利長でした。その前田利長の菩提寺に、佐々成政の血を継ぐ探幽の絵が所蔵されているというのも運命の妙ではないでしょうか。そういった因縁を思いながら、参拝するのもおもしろい。
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