更新日: 2024年1月18日
釜石の昭和時代~製鉄のまちとして発展した釜石の戦争被害と復興~
太平洋戦争末期、岩手県域も戦禍を被ります。
釜石は、日本本土で初めて米軍からの艦砲射撃を受けました。
なぜ釜石は標的とされたのでしょうか。
目次
【釜石の昭和時代】戦時体制下で軍需物資を生産
1858年1月(安政4年12月)に日本で初めて洋式高炉を建設した釜石は、日本を代表する「製鉄のまち」です。日清戦争で軍需が拡大すると、釜石も活況を呈しました。
1931(昭和6)年に柳条湖事件(りゅうじょうこじけん)に端を発して満州事変が勃発すると、日本は「十五年戦争」と呼ばれる長い対外戦争期に突入します。
1934(昭和9)年には官営製鉄所が中心になり、民間業者を合同し、国策会社である日本製鐵を発足させました。釜石の製鉄所も日本製鐵に合流し、戦時体制下で軍需物資を生産していくことになります。
1938(昭和13)年には銑鉄鋳物(せんてついもの)制限令が施行され、岩手名物の南部鉄器も生産できなくなってしまいます。
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