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岩手県の歴史~戊辰戦争での敗北から紆余曲折ののち成立~ 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月18日

岩手県の歴史~戊辰戦争での敗北から紆余曲折ののち成立~

「賊軍」として明治を迎えた岩手県は急速に近代化を推し進めていきました。
そして度重なる災害に見舞われながらも、復興を成し遂げていきます。

岩手県の歴史は「盛岡県」の誕生からはじまる

戊辰戦争で最後まで明治政府に抵抗した盛岡藩には、白石(宮城県白石市)への転封が命じられました。その後、南部氏は盛岡への復帰が許されますが、その際には多額の献金が条件として提示されました。

藩財政が逼迫した盛岡藩では、全国的な廃藩置県に先がけて1870(明治3)年に藩が返上され、盛岡県が設置されます。盛岡県は岩手県へと称したのち、府県統合を経て1876(明治9)年に現在の県域が定まります。

岩手県が成立するまで

1871(明治4)年7月
全国的な廃藩置県が行われた頃。盛岡藩は領地を減らされて財政が厳しかったため、この前年にすでに盛岡県となっていました。

岩手県HPほか各種資料を元に作成

1871(明治4)年11月
第一次府県統合が行われ、八戸県と江刺県が青森県・盛岡県・一関県に吸収されます。

岩手県HPほか各種資料を元に作成

1876(明治9)年4月
第二次府県統合により、磐井県(一関県から水沢県に改称、その後さらに磐井県に改称)が岩手県と宮城県に分割編入されました。

岩手県HPほか各種資料を元に作成

1876(明治9)年5月
住民が岩手県への所属を望んだため、二戸郡は岩手県に編入されます。気仙郡も宮城県から岩手県に加わりました。

岩手県HPほか各種資料を元に作成

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