更新日: 2024年1月18日
奥州道中を中心とした岩手の街道と北上川舟運~参勤交代や経済活動を支えた
江戸時代には、岩手県域で街道と水路が整備されました。
陸の道と海の道が整備され、人々の往来や物流が活性化されていったのです。
慶長出羽合戦と関ヶ原の戦い
1600(慶長5)年の関ヶ原の戦いは、徳川家康が会津(福島県会津若松市)の上杉氏征伐(会津征伐)を企図したことに始まります。
家康率いる軍勢は会津に向かって行軍中、大坂で石田三成が挙兵したことを知り、小山(おやま)(栃木県小山市)で軍議を開いてから転進し、関ヶ原(岐阜県不破郡)で西軍と激突しました。家康転進後も会津征伐は進められ、最上義光(もがみよしあき)と伊達政宗(東軍)が上杉景勝(かげかつ)(西軍)を攻めました。
南部利直は「慶長出羽合戦」の功労により領土安堵
南部利直(としなお)はこの「慶長出羽合戦」に最上氏の援軍として参陣し、戦後の論功行賞では本領が安堵されたのです。
南部領の本領10郡は北郡(青森県下北・上北両郡)、三戸(青森県三戸郡)、二戸、九戸、鹿角(かづの)(秋田県鹿角市)、閉伊(へい)、岩手、志和、稗貫、和賀と広範囲にわたり、「三日月の円くなるまで南部領」とうたわれたほどでした。
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