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藤原秀衡と藤原基成の娘との婚姻で奥州藤原氏は国府へ影響力を広げる

豊富な資金力と奥州産の馬を背景として、奥州藤原氏は「奥州十七万騎」と称されるほどの強大な軍事力を保持していましたが、中央からは「奥州の夷狄(いてき)」と目され、朝廷の重職を担うことはありませんでした。

藤原摂関家の藤原基成(もとなり)が陸奥守と鎮守府将軍を兼任して平泉へと下向してくると、奥州藤原氏の二代・基衡(もとひら)(清衡の次男)は藤原基成に接近。自身の子(藤原秀衡)に藤原基成の娘を嫁がせ、中央政界ともつながりをもち、国府への影響力を高めていきました。

藤原秀衡は奥州藤原氏の最盛期を築いた

1157(保元2)年、藤原基衡の死後に藤原秀衡が奥州藤原氏の家督を相続します。この頃、中央では平清盛が保元の乱(1156年)と平治の乱(1159年)を治めて政治の実権を掌握し、六波羅(京都府京都市)に日本初の武家政権である平氏政権を樹立していました。

藤原秀衡は平家とのつながりをもち、その後援を受けて1181(養和元)年には地方武士として初めて国主(陸奥守)に任じられたのです。そのいっぽうで、源氏の子息(源義経)を養育しており、中央の政争には中立的な立場を維持していました。

藤原秀衡の政治的手腕のおかげで源平の争乱に巻き込まれることはなく、藤原秀衡の代に奥州藤原氏は最盛期を迎えます。

しかし、1185(文治元)年に源頼朝(よりとも)と対立した源義経が平泉に落ち延びてくると、藤原秀衡は源義経をかくまうことに。源頼朝との関係が険悪になるなかで、1187(文治3)年に藤原秀衡は急逝してしまいます。

藤原秀衡の次男、藤原泰衡の代で100年の奥州藤原家は滅亡

跡を継いだ藤原泰衡(やすひら)(藤原秀衡の次男)は源頼朝の圧力に屈し、源義経が籠もる衣川館(ころもがわのたち)(西磐井郡平泉町)を急襲。源義経を自害へと追い込み、その首級(しゅきゅう)を鎌倉へと送りました。

しかし、奥州藤原氏の支配力を危惧した源頼朝は、全国の御家人を動員し、28万もの大軍を擁して奥州攻めに乗り出します。藤原泰衡は緒戦で大敗を喫すると、平泉を焼き払って逃走。比内郡贄柵(ひないぐんにえのさく)(秋田県大館市)で家臣に裏切られて殺害されます。

かくして約100年続いた奥州藤原氏は滅亡しました。

奥州合戦での頼朝軍の進路

奥州合戦での頼朝軍の進路
『図説 岩手県の歴史』(河出書房新社、1995年)を元に作成

頼朝軍は、東海道、奥大道、北陸道の三方向に分かれて奥州を攻めました。

葛西清重を中心に鎌倉幕府による支配となった奥州

奥州合戦の戦後処理を任されたのは、下総(千葉県)の有力御家人・葛西清重(かさいきよしげ)でした。葛西清重は陸奥国衙(こくが)を支配した伊沢家景(いさわいえかげ)と並び「奥州惣奉行」に任じられ、奥州の軍事および警察権を一手に引き受けることになりました。

奥州はそれまでは藤原氏によって支配されてきましたが、源頼朝は郡・郷・荘園などに地頭職を命じ、奥羽を鎌倉幕府の直轄支配下に置きました。磐井・気仙・胆沢・江刺の四郡、興田・黄海の二保、牡鹿郡(宮城県)は葛西氏に与えられ、「葛西本所五郡二保」と呼ばれる広大な所領が形成されていきます。奥州の他郡にも関東の御家人が入り、志和郡は下野(しもつけ)(栃木県)の足利義兼に与えられ、その子孫は斯波氏を名乗り、のちに室町幕府で三管領筆頭の地位を得ます。

また、執権北条氏には糠部郡や津軽四郡が与えられ、北条氏が鎌倉幕府内で権力基盤を固めるとともに、奥羽でも支配力を高めていくのでした。

地頭の配置

地頭の配置
『岩手県の歴史 第2版』(山川出版社、2016年)を元に作成

鎌倉時代には、関東の御家人が地頭として各地を支配しました。岩手県域の多くは葛西氏と北条氏の所領となりました。

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・宮沢賢治が名付けた理想の地? イーハトーヴの風景地とは
・三陸海岸のうち南部だけが リアス海岸になっている理由
・三陸沖で多発する地震と 津波発生のメカニズムを探る
・平泉の黄金文化を支えた 玉山金山はどこがすごい?
・カルスト台地に刻まれた猊鼻渓と 幽玄洞は古生代の化石の宝庫!
・ティラノサウルス類化石も発見! 国内最大の琥珀産地・久慈

などなど岩手のダイナミックな自然のポイントを解説。

Part.2 岩手を駆け抜ける鉄道網

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・一ノ関以北で客車が走り続けた 大幹線・東北本線の歴史と実力
・急勾配を克服する物流の幹線 IGRいわて銀河鉄道がすごい!
・『銀河鉄道の夜』の原風景を走る岩手軽便鉄道に始まった釜石線
・三陸縦貫鉄道を引き継ぎ誕生! 沿岸部を走る三陸鉄道リアス線
・龍ヶ森の急勾配を越えろ! 奥羽山脈を横断する花輪線

などなど岩手ならではの交通事情を網羅。

Part.3 岩手で動いた歴史の瞬間

・人々が定住し集落が生まれ 南北それぞれの文化が発達
・胆沢平野を中心に米作が進み 強大な権力も生まれる
・蝦夷のリーダー・アテルイと ヤマト王権の熾烈な争い
・安部氏から奥州藤原氏 やがて群雄割拠の戦乱へ
・前九年・後三年の役が終結し 花開いた黄金の平泉文化
・大崎氏と斯波氏の時代を経て 南部氏と伊達氏が台頭
・戊辰戦争での敗北から 紆余曲折ののち岩手県が成立

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