更新日: 2024年1月18日
前九年の役・後三年の役が終結して奥州の平泉文化は花開いた
奥州では安倍氏が朝廷に背き、前九年の役が起こります。
鎮圧に功のあった清原氏でも内紛(後三年の役)が起き、やがて奥州藤原氏が台頭します。
目次
「奥六郡」は奥州における律令国家の支配体制の基盤となった
802(延暦21)年に坂上田村麻呂が胆沢城(奥州市水沢)を築くと、周辺地域も律令国家の支配体制に取り込まれていきました。
804(延暦23)年頃には「胆沢三郡」(磐井・江刺・胆沢)が成立。808(大同3)年には多賀城(宮城県多賀城市)から胆沢へと鎮守府が移され、胆沢の重要度はさらに高まっていきました。
坂上田村麻呂は北上川と雫石川の合流地点付近に志波城(盛岡市中太田)を築き、811(弘仁2)年に「志波三郡」(和我・薭縫(ひえぬい)・斯波)が成立しました。これら六郡の支配領域は時代とともに変化し、10世紀頃には岩手、志和、稗抜、和賀、江刺、伊沢が「奥六郡」と称されるようになります。
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