更新日: 2024年1月18日
岩手県の中世の歴史~奥州藤原氏を源頼朝が滅ぼし奥州支配権を奪った
奥州藤原氏は独自の勢力を確立しましたが、源頼朝に滅ぼされます。
その後、奥州では幕府権力の後ろ盾を得た勢力が割拠することになります。
目次
【岩手の中世の歴史】奥州藤原氏と源頼朝の奥州征伐
奥州藤原氏は平泉(西磐井郡平泉町)を拠点として岩手県域を支配し、中尊寺金色堂に代表される平泉文化を形成しました。藤原氏は4代100年にわたって栄えますが、源義経をかくまったために源頼朝と対立。源義経の首を差し出すものの、源頼朝の奥州征伐によって滅ぼされました。
令制六郡
平安時代初頭に胆沢城が造営されると胆沢三郡(磐井・江刺・胆沢)、志波城が造営されると志波三郡(和我・薭縫・斯波)が成立。律令制に基づく支配の基盤が整えられました。
奥六郡
10世紀には郡が再編され、在地首長を介した間接支配から、中央派遣の貴族による直接支配に移行。しかし11世紀末、藤原清衡が在地武士でありながら北方支配の責任者として政府に登用され、中世社会の基盤を築きます。
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