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蝦夷征服のためにヤマト王権が築いたもの

724(神亀元)年、陸奥国の国府と鎮守府が多賀城(宮城県多賀城市)に置かれました。そして8世紀の半ば頃には、北上川の上流に桃生(ものう)城(石巻市)、内陸地方に伊治(これはる)城(栗原市)、出羽国の雄物川(おものがわ)流域に雄勝城(おかちのき)(詳細不明)と城柵が築かれます。

海道(桃生城)と山道(伊治城)を押さえたことからも、両道の交わる胆沢(いさわ)が攻略目標であったことがわかるでしょう。

岩手県域周辺の城柵

岩手県域周辺の城柵
『日本史年表・地図 第25版』(吉川弘文館、2019年)ほか各種資料を元に作成

城柵はヤマト王権が蝦夷の地に進出するための軍事的拠点でした。蝦夷支配が進むとともに北へ新たな城柵が設けられました。

鎮守府胆沢城
坂上田村麻呂に建てられた古代城柵。10世紀半ばまで鎮守府として機能しました。

アテルイとモレは蝦夷の首長としてとヤマト王権に抵抗

律令国家と蝦夷は緊張状態に突入し、770(宝亀元)年には蝦夷の族長・宇漢迷公宇屈波宇(うかんめのきみうくつはう)が反乱を起こします。さらに774(宝亀5)年には、蝦夷が桃生城を攻略しました。

桓武天皇はこの状態を憂慮し、紀古佐美(きのこさみ)を征東(せいとう)将軍に任命。789(延暦8)年、紀古佐美は征東軍5万を率いて多賀城を出発し、衣川(ころもがわ)から巣伏(すぶし)(奥州市)に進軍しました。

この「延暦8年の征夷」と呼ばれる胆沢遠征に抵抗したのが、蝦夷の首長のアテルイとモレでした。

アテルイら蝦夷軍はヤマト王権による2回目の胆沢遠征で完敗

巣伏の戦いでは陽動作戦が奏功し、蝦夷側が勝利を収めました。征東軍は2600人以上の戦死者と溺死者を出して退却。桓武天皇は紀古佐美をおおいに叱責し、かわって大伴弟麻呂(おおとものおとまろ)が征東大使に任命されました。この征東大使の名称が征夷使(せいいし)に改められ、794(延暦13)年頃には「征夷大将軍」と呼ばれるようになります。

大伴弟麻呂の副使だった坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)は、第2回の胆沢遠征では戦争を指揮し、797(延暦16)年に征夷大将軍に昇格を果たします。アテルイらの率いる蝦夷軍は、801(延暦20)年に坂上田村麻呂の率いる軍に完敗を喫するのでした。このとき坂上田村麻呂が「悪路王(あくろおう)(アテルイと同一説も)」を征伐し、その拠点であった達谷窟(たっこくのいわや)(西磐井郡平泉町)に毘沙門堂を創建したとされます。

アテルイとモレは降伏後に斬首され、以降岩手県域はヤマト王権の支配下に

802(延暦21)年、坂上田村麻呂は胆沢城(奥州市水沢)を築きました。城柵の建築中にアテルイとモレは降伏を申し入れ、平安京に送られました。坂上田村麻呂は助命を嘆願しましたが聞き入れられず、アテルイとモレは河内国椙山(かわちのくにすぎやま)で斬首となりました。

この戦い以降、北上川流域は朝廷が支配することになり、蝦夷は全国各地に強制移住させられ、岩手県域は律令国家に組み入れられていきます。

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・三陸海岸のうち南部だけが リアス海岸になっている理由
・三陸沖で多発する地震と 津波発生のメカニズムを探る
・平泉の黄金文化を支えた 玉山金山はどこがすごい?
・カルスト台地に刻まれた猊鼻渓と 幽玄洞は古生代の化石の宝庫!
・ティラノサウルス類化石も発見! 国内最大の琥珀産地・久慈

などなど岩手のダイナミックな自然のポイントを解説。

Part.2 岩手を駆け抜ける鉄道網

・軌道から車両まで対策は万全! 積雪地帯を快走する東北新幹線
・一ノ関以北で客車が走り続けた 大幹線・東北本線の歴史と実力
・急勾配を克服する物流の幹線 IGRいわて銀河鉄道がすごい!
・『銀河鉄道の夜』の原風景を走る岩手軽便鉄道に始まった釜石線
・三陸縦貫鉄道を引き継ぎ誕生! 沿岸部を走る三陸鉄道リアス線
・龍ヶ森の急勾配を越えろ! 奥羽山脈を横断する花輪線

などなど岩手ならではの交通事情を網羅。

Part.3 岩手で動いた歴史の瞬間

・人々が定住し集落が生まれ 南北それぞれの文化が発達
・胆沢平野を中心に米作が進み 強大な権力も生まれる
・蝦夷のリーダー・アテルイと ヤマト王権の熾烈な争い
・安部氏から奥州藤原氏 やがて群雄割拠の戦乱へ
・前九年・後三年の役が終結し 花開いた黄金の平泉文化
・大崎氏と斯波氏の時代を経て 南部氏と伊達氏が台頭
・戊辰戦争での敗北から 紆余曲折ののち岩手県が成立

などなど、激動の岩手の歴史に興味を惹きつける。

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