更新日: 2024年1月16日
胆沢平野を中心に米作が進み強大な権力が生まれていく
古代の胆沢平野には、日本最北の前方後円墳が築かれました。
この地域を支配した権力者は、ヤマト王権と関係が深かったことがうかがえます。
稲作文化の伝播経路が推測できる遠賀川式土器とは
弥生時代(紀元前3世紀頃)には、水稲耕作を中心とした文化が全国的に広まりました。最初に大陸から稲作文化が伝わった九州北部で弥生土器がつくられるようになり、その最初期のものは福岡県の遠賀川(おんががわ)の河床から出土したことから遠賀川式土器と呼ばれます。
遠賀川式土器は大型の壷型土器であり、稲作とともに九州全域から四国、本州へともたらされました。そのため、水田遺跡が見つかっていない地域でも、遠賀川式土器の分布をたどることで、稲作文化の伝播経路が推測できるわけです。
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