トップ > カルチャー >  北海道・東北 > 岩手県 >

胆沢平野を中心に米作が進み強大な権力が生まれていく 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月16日

胆沢平野を中心に米作が進み強大な権力が生まれていく

古代の胆沢平野には、日本最北の前方後円墳が築かれました。
この地域を支配した権力者は、ヤマト王権と関係が深かったことがうかがえます。

稲作文化の伝播経路が推測できる遠賀川式土器とは

弥生時代(紀元前3世紀頃)には、水稲耕作を中心とした文化が全国的に広まりました。最初に大陸から稲作文化が伝わった九州北部で弥生土器がつくられるようになり、その最初期のものは福岡県の遠賀川(おんががわ)の河床から出土したことから遠賀川式土器と呼ばれます。

遠賀川式土器は大型の壷型土器であり、稲作とともに九州全域から四国、本州へともたらされました。そのため、水田遺跡が見つかっていない地域でも、遠賀川式土器の分布をたどることで、稲作文化の伝播経路が推測できるわけです。

1 2

記事をシェア

※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!

エリア

トップ > カルチャー >  北海道・東北 > 岩手県 >

この記事に関連するタグ