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南部杜氏の起源は上方

1591(天正19)年、全国統一に向けた豊臣秀吉の仕上げの一戦が、岩手で行われました。秀吉に従う南部信直(なんぶのぶなお)に反抗する九戸政実(くのへまさざね)の蜂起を、秀吉が6万の軍勢で平らげた、いわゆる「九戸政実の乱」です。

この戦(いくさ)によって、秀吉は天下統一へ王手をかけるとともに、岩手における戦国時代も終焉を迎えました。南部信直は盛岡に城を構え、城下町をつくり、近江(おうみ)から商人を呼び込むなどして経済活動の活性化に取り組みました。

そうした近江商人のなかに村井権兵衛(ごんべえ)という人物がいました。近江から盛岡に移り住んだ村井権兵衛は、盛岡の地で上方(かみがた)の「池田流」の酒づくりで成功。1678(延宝6)年、「近江屋」を創業し、酒を売り出しました

南部杜氏の歴史

当初は近江、大坂といった上方から杜氏を呼んで酒をつくっていましたが、酒づくりを手伝っていた農民は上方杜氏の技能を覚え、いつしか閑農期に他藩へ酒づくりの出稼ぎに出る者も現われました。彼らこそ南部杜氏の源流といわれています。

地元岩手の酒づくりの現場においても、村井権兵衛が「近江屋」を興してから数十年後には、上方の杜氏から南部杜氏に入れ替わります。つまり、酒づくりを副業にしていた農民たちが、酒造一本の専門職人集団に成長したのです。

上方杜氏が南部杜氏に変わった時期は定かではありませんが、江戸中期の宝暦年間(1751〜64年)以前には、こうした体制ができ上がっていたようです。

岩手の酒造業は近江商人によって発展した

そもそも、岩手という土地は決して自然環境に恵まれた場所ではありませんでした。岩手県央地域は雪が少なく水田も多かったとはいえ、数年ごとに飢饉に襲われるような土地だったのです。

そんな岩手で酒づくりが発展したのは、盛岡を居城にした南部氏が経済発展を推し進めたことによるといわれます。記録によれば、1683(天和3)年、盛岡領内の人口は約30万6千人ほど。城下の人口は3万5千人で、その半数が町人でした。

そして、町人たちの商業活動の中心となったのが近江商人たちだったといいます。彼らは盛岡と上方を往来して、さまざまな食料品、雑貨などを売り、岩手の経済を発展させました。そうした品々のなかには酒もあり、この地での酒造業成長につながったのです。

南部杜氏の隆盛と現在

江戸後期になると、南部杜氏はすでに全国で認知されていました。明治期になると、酒造の歴史に刻まれる名杜氏と呼ばれる者も登場。彼らによって1914(大正3)年、南部酒造杜氏組合が設立。後人たちの育成も行われ、南部杜氏は隆盛を極めます。1948(昭和23)年には社団法人南部杜氏協会に改組されて現在に至っています。

南部杜氏協会の会員数は、1964(昭和39)年の3282人に対し、1998(平成10)年は1512人と大幅に減少。いっぽうで、南部杜氏の赴任地は33都道府県と拡大しています。伝統の酒造技術を受け継ぐ若いつくり手に、今後の期待が寄せられています。

岩手の酒蔵地図

岩手の酒蔵地図
仙台国税局作成(令和元年11月1日現在)の岩手酒造マップを参考に作成

岩手県の酒蔵は、県央から南部を中心に分布していることがわかります。紫波(しわ)や岩手同様に酒造が盛んな宮城と境を接する一関辺りがいっそう盛んです。

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Part.1 地図で読み解く岩手の大地

・盛岡のまちを見守る名峰 岩手山はどうやってできた?
・宮沢賢治が名付けた理想の地? イーハトーヴの風景地とは
・三陸海岸のうち南部だけが リアス海岸になっている理由
・三陸沖で多発する地震と 津波発生のメカニズムを探る
・平泉の黄金文化を支えた 玉山金山はどこがすごい?
・カルスト台地に刻まれた猊鼻渓と 幽玄洞は古生代の化石の宝庫!
・ティラノサウルス類化石も発見! 国内最大の琥珀産地・久慈

などなど岩手のダイナミックな自然のポイントを解説。

Part.2 岩手を駆け抜ける鉄道網

・軌道から車両まで対策は万全! 積雪地帯を快走する東北新幹線
・一ノ関以北で客車が走り続けた 大幹線・東北本線の歴史と実力
・急勾配を克服する物流の幹線 IGRいわて銀河鉄道がすごい!
・『銀河鉄道の夜』の原風景を走る岩手軽便鉄道に始まった釜石線
・三陸縦貫鉄道を引き継ぎ誕生! 沿岸部を走る三陸鉄道リアス線
・龍ヶ森の急勾配を越えろ! 奥羽山脈を横断する花輪線

などなど岩手ならではの交通事情を網羅。

Part.3 岩手で動いた歴史の瞬間

・人々が定住し集落が生まれ 南北それぞれの文化が発達
・胆沢平野を中心に米作が進み 強大な権力も生まれる
・蝦夷のリーダー・アテルイと ヤマト王権の熾烈な争い
・安部氏から奥州藤原氏 やがて群雄割拠の戦乱へ
・前九年・後三年の役が終結し 花開いた黄金の平泉文化
・大崎氏と斯波氏の時代を経て 南部氏と伊達氏が台頭
・戊辰戦争での敗北から 紆余曲折ののち岩手県が成立

などなど、激動の岩手の歴史に興味を惹きつける。

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