久慈は古くから砂鉄が多く産出される地
久慈でたたら製鉄がいつ頃から始まったのか正確な時期はわかっていませんが、奈良〜平安時代の遺跡からは、鉄製の小刀や錐(きり)などが出土しています。
久慈が位置する岩手県北部一帯は、古くから大量の砂鉄が産出し、人々がそれらの砂鉄を、昔から利用していたことがうかがえます。
近代以前の江戸期においては、たたら製鉄による鉄づくりはまさに岩手の財政を潤してきました。久慈の鉄は全国的に有名になり、「南部鉄」と呼ばれました。当時、久慈を管轄していた八戸藩の経済にとって、久慈の鉄は大きな支えになったといいます。
久慈での砂鉄の製錬と問題点
砂鉄の製錬は、粘土でつくった炉で行われました。1回の製錬は三日三晩続き、でき上がった鉄の塊を取り出し冷却します。その際、炉は壊されます。これが高温の液体状で取り出される近代洋式高炉との大きな違いで、たたら製鉄が連続製錬できない理由でもあります。
また、製錬する前には真砂土(まさど)(砂鉄を含んだ土)から砂鉄を選鉱しますが、それには大量の水が必要でした。鉄分の含有量が5%ほどしかないため、その分、使う水の量も増え、周囲の川や農地などに大量の土砂が流れ込むなどの被害にも注意しなければなりませんでした。
砂鉄原料となる土には、そのほかに「ドバ」と呼ばれるものもありました。こちらは大昔の海岸であった地層に堆積した砂鉄で、鉄分の含有量が20〜50%と高いものの、選鉱によって品質が下がってしまうという欠点がありました。
久慈砂鉄と常盤商会
近代化の中、製鉄業は高炉時代へと向かいますが、高炉だけでは安定した鉄供給ができなかったことから、砂鉄製錬のたたら製鉄は明治・大正も続けられました。
1914(大正3)年、第一次世界大戦が勃発すると鉄の需要はますます増加。東京の「常盤(ときわ)商会」が久慈砂鉄に注目し、1920(大正9)年、たたら炉に西洋式高炉技術を合わせて発展させた角炉(かくろ)を中国地方から移転し、砂鉄の連続製錬に取り組み始めました。
これに期待が寄せられましたが、第一次世界大戦の終了とともに鉄の価格が下落。試験的な操業のみに終わりました。
常盤商会による砂鉄製錬への取り組み
常盤商会は、その後も高炉を用いた砂鉄の製錬に取り組み、事業化を模索し続けます。そもそも砂鉄は鉄の原料としては粒が細かすぎるため、高炉製錬には向いていません。
そこで、粉砕した石炭と砂鉄に接合材を加えて直径数センチの塊をつくり、それを原料とする「鉄骸炭法(てつがいたんほう)」を考案。しかし、この方法も製錬後、チタンが含まれてしまうことがわかり、操業には至りませんでした。
久慈砂鉄の繁栄と幕引き
その後、昭和恐慌によって事業は「川崎製鉄(現・JFEスチール)」の手に移り、ついに久慈砂鉄の連続製錬に成功。1941(昭和16)年久慈製鉄所が完成し、火がともりました。
戦後も設備新設など事業は拡大しましたが、徐々に良質な久慈砂鉄が減少し、1967(昭和42)年、工場は閉鎖。1000年にわたる久慈砂鉄の製鉄は幕を閉じたのでした。
現在の久慈市周辺
最盛期には町全体が活気にあふれた久慈。採掘現場から製鉄所までは鉱石運搬軌道がありました。製鉄所が閉鎖したのち、工場用地は分譲され、「川崎製鉄」にあやかり川崎町と名づけられました。跡地には現在、市役所などが建っています。
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