トップ > カルチャー >  北海道・東北 > 岩手県 >

松尾鉱山時代の開幕と採掘のスタート

1882(明治15)年、松尾村の佐々木和七(わしち)、和助兄弟が赤川上流に硫黄の大露頭を発見。この鉱床の採掘権を得ました。ここに、松尾鉱山の時代が開幕したのです。

しかし、試掘が難航し、輸送や製錬施設の整備などで資金難に陥ったために、出資者・採掘権利者が次々とかわりました。本格的に硫黄の採掘をスタートできたのは、佐々木兄弟が鉱床を発見してから30年余りを経た、1914(大正3)年の松尾鉱業株式会社の設立からでした。

硫黄は現在でも、さまざまな化学工業製品の原料に使われており、近代化が推し進められていた当時も、農薬や化学肥料、パルプ、合成繊維の製造など、需要は高かったのです。最新の技術と設備を導入した松尾鉱山は急速に成長を続けました。

松尾鉱山の最盛期と抗廃水による汚染問題

第一次世界大戦後、重化学工業発展により、硫黄の需要はさらに高まり、松尾鉱山は昭和に入って最盛期を迎え、オーストラリア、ニュージーランド、満州などにも硫黄や硫化鉄鉱を送り出すようになりました。

1934(昭和9)年、松尾鉱山鉄道が開通すると、松尾鉱山はいよいよ隆盛を極め、増産にともない従業員も増加し、1939(昭和14)年には3500名となり、「東洋一の硫黄鉱山」と称されるようになりました。

この頃から、鉱山から排出される強酸性の抗廃水による汚染問題が表面化し、社会問題となっていました。

松尾鉱山のさらなる発展

第二次世界大戦後の復興期、1950(昭和 25)〜1957(昭和32)年には全国から集まった従業員は4500人を超え、1956(昭和31)年には、鉱石出坑量100万トン、同年9月には硫黄は、月産7000トンの新記録を達成。

当時、世界一の硫黄生産国はアメリカでしたが、日本では硫黄の保護政策が取られ、国内需要が高まりもあって、松尾鉱山発展のさらなる追い風となりました。

「雲上の楽園」と呼ばれた松尾村元山地区

松尾村の元山(現在の緑ガ丘)地区には、学校、郵便局、病院、公衆浴場、商店、映画館など、1万4000人を超える人々の日常を支える施設もつくられ、「雲上の楽園」とも呼ばれました。祭りやスキー大会などの行事もにぎやかに行われたといいます。

なかでも当時の盛り上がりを感じさせるのが、従業者たちが暮らした緑ヶ丘アパートでしょう。緑ヶ丘アパートは、鉄筋コンクリート4階建で、1951(昭和26)年11月に第1期6棟が完成しました。全部で11棟建設され、302世帯の家族が暮らしていました。

松尾鉱山の終焉と現在

松尾鉱山の終焉は、驚くほど急激にやってきます。

昭和30年代、おもな取引先だった繊維業界の衰退と、安い輸入硫黄の影響で業績は悪化。さらに、昭和40年代に出回り始めた石油精製時に発生する、安価な回収硫黄が追い討ちをかけ、1969(昭和44)年、鉱山は閉鎖へ。人々は山を去り、「雲上の楽園」は、はかなく消えました。

発生当初から中和処理が行われてきた抗廃水は、現在、新中和処理施設で処理を継続。鉱山跡は緑化が進められています。

現在の松尾鉱山跡周辺地図

現在の松尾鉱山跡周辺地図

松尾鉱山からは閉山後も大量に強酸性水が赤川に流れ続けていました。これを解消するために、1982(昭和57)年から旧松尾鉱山新中和処理施設で処理が行われています。

『岩手のトリセツ』好評発売中!

日本の各県の地形や地質、歴史、文化、産業など多彩な特徴と魅力を、地図を読み解きながら紹介するマップエンターテインメント。岩手の知っているようで知られていない意外な素顔に迫ります。地図を片手に、思わず行って確かめてみたくなる情報を満載!

Part.1 地図で読み解く岩手の大地

・盛岡のまちを見守る名峰 岩手山はどうやってできた?
・宮沢賢治が名付けた理想の地? イーハトーヴの風景地とは
・三陸海岸のうち南部だけが リアス海岸になっている理由
・三陸沖で多発する地震と 津波発生のメカニズムを探る
・平泉の黄金文化を支えた 玉山金山はどこがすごい?
・カルスト台地に刻まれた猊鼻渓と 幽玄洞は古生代の化石の宝庫!
・ティラノサウルス類化石も発見! 国内最大の琥珀産地・久慈

などなど岩手のダイナミックな自然のポイントを解説。

Part.2 岩手を駆け抜ける鉄道網

・軌道から車両まで対策は万全! 積雪地帯を快走する東北新幹線
・一ノ関以北で客車が走り続けた 大幹線・東北本線の歴史と実力
・急勾配を克服する物流の幹線 IGRいわて銀河鉄道がすごい!
・『銀河鉄道の夜』の原風景を走る岩手軽便鉄道に始まった釜石線
・三陸縦貫鉄道を引き継ぎ誕生! 沿岸部を走る三陸鉄道リアス線
・龍ヶ森の急勾配を越えろ! 奥羽山脈を横断する花輪線

などなど岩手ならではの交通事情を網羅。

Part.3 岩手で動いた歴史の瞬間

・人々が定住し集落が生まれ 南北それぞれの文化が発達
・胆沢平野を中心に米作が進み 強大な権力も生まれる
・蝦夷のリーダー・アテルイと ヤマト王権の熾烈な争い
・安部氏から奥州藤原氏 やがて群雄割拠の戦乱へ
・前九年・後三年の役が終結し 花開いた黄金の平泉文化
・大崎氏と斯波氏の時代を経て 南部氏と伊達氏が台頭
・戊辰戦争での敗北から 紆余曲折ののち岩手県が成立

などなど、激動の岩手の歴史に興味を惹きつける。

『岩手のトリセツ』を購入するならこちら

リンク先での売上の一部が当サイトに還元される場合があります。
1 2

記事をシェア

※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!

エリア

トップ > カルチャー >  北海道・東北 > 岩手県 >

この記事に関連するタグ