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釜石が製鉄所を安定稼働させていたわけ

江戸末期の製鉄の一大目的は、国防のための大砲鋳造(ちゅうぞう)などでした。日本のほかの製鉄所が官営(藩営)だったの対し、釜石は民間によって運営されており、利潤を追求する体制ができ上がっていたことから、得意先として他藩との取り引きもありました。

釜石の鉄は那珂湊(なかみなと)(水戸藩)の大砲製作に使われたり、それらがのちに幕府に献上され台場(現・品川区)に置かれたりしました。当時、製鉄所を安定稼働させていたのは、釜石を擁する盛岡藩だけだったといわれています。

釜石の製鉄事業を民間譲渡へ

やがて江戸幕府が終焉を迎え、時代は明治へ。1874(明治7)年、釜石でも官営製鉄所の建設が始まりました。しかし、富国強兵の掛け声の下、さまざまな官製事業を推し進めていた明治政府は財政難に頭を抱えるように。そして、官営化されてから10年も経たない1880(明治13)年、政府は「工場払下概則(がいそく)」を発布し、民間への事業譲渡を進めるようになりました。

古くから鉄が掘られていた釜石で、大島高任によって製鉄を事業化したことが釜石の製鉄のスタートならば、明治政府による製鉄事業の民間譲渡が、さらなる発展のターニングポイントだったといえるでしょう。

釜石は製鉄所の発展によって「鉄のまち」へ

この払下げを請けたのが、当時、東京で鉄商社を営んでいた田中長兵衛です。田中長兵衛は江戸の鉄・銅物問屋で修業を積み、「鉄屋」長兵衛として独立した人物です。そんな彼に政府から、廃業していた釜石製鉄所の払い下げの打診がありました。

木炭を燃料とする小規模高炉を建設し、1886(明治19年)10月16日に初めて出銑に成功し、この日が釜石製鉄所の創業記念日となりました。翌年、釜石鉱山田中製鐵(せいてつ)所を設立。1894(明治27)年に国内初のコークス銑の生産に成功し、初めてたたら銑の生産量を上回りました。

製鉄所の発展にともない釜石の人口も増加し、かつて海運でにぎわった釜石は、「鉄のまち」に変貌しました。

釜石製鉄所の終わりと現在

1924(大正13)年には、田中家の手を離れて釜石鉱山となり、1934(昭和9)年には国策会社「日本製鐵」となります。しかし、第二次世界大戦で、鉄資源を自給できる軍需工場地帯として英米軍の艦砲射撃を受け、釜石は焼け野原となりました。

1948(昭和23)年に操業を再開。「富士製鐵」、「新日本製鐵」と経営母体を変えながら、1989(平成元)年、高炉の全面休止によって、釜石製鉄所としての歴史を閉じました。現在は「日本製鐵」が線材の生産と電力供給事業を行っています。

釜石 鉄の遺産地図

釜石 鉄の遺産地図

我が国初の洋式高炉である橋野高炉跡のほか、釜石製鉄所本事務所など釜石には数々の鉄の「遺産」が残されています。これらの遺構を巡るツアーも開催されており、日本近代化の往時の姿を肌で感じることができます。

橋野鉄鉱山

住所
岩手県釜石市橋野町2-15
交通
JR釜石線釜石駅からタクシーで50分
料金
無料

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・一ノ関以北で客車が走り続けた 大幹線・東北本線の歴史と実力
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Part.3 岩手で動いた歴史の瞬間

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・安部氏から奥州藤原氏 やがて群雄割拠の戦乱へ
・前九年・後三年の役が終結し 花開いた黄金の平泉文化
・大崎氏と斯波氏の時代を経て 南部氏と伊達氏が台頭
・戊辰戦争での敗北から 紆余曲折ののち岩手県が成立

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