更新日: 2024年1月22日
釜石の製鉄は大島高任が建設した国内初の洋式高炉「橋野高炉」から始まった
江戸期の鉄鉱床発見から幕を上げた釜石の製鉄の歴史。
鉄とともに発展してきた日本有数の製鉄のまちの歩みを振り返ります。
釜石の製鉄の歴史と大島高任
我が国の近代製鉄技術発祥の地・釜石。釜石市史によれば、1727(享保12)年、大橋(現・釜石市大橋)ではじめて鉄鉱床(磁鉄鉱(じてっこう))が発見されたとあります。
その後、1857(安政4)年に岩手県出身の鉱山学者・大島高任(おおしまたかとう)が、オランダ砲兵少将ユ・ヒュニーギンの理論を基に建設した、当時最先端の洋式高炉「橋野高炉」を使い、日本で初めて精錬、連続出銑(しゅっせん)に成功。ここに釜石の近代製鉄事業が幕を開け、江戸、明治、大正、そして昭和期にわたり、日本全体の製造・工業発展の基盤となる製鉄を担い続けてきたのです。
大島高任は、明治新政府でも鉱山技術者として起用され、欧米の鉱山や製鉄所を訪れ、さらなる知見を日本国内にも広めたことから、「日本近代製鉄の父」とも呼ばれています。大島高任、および弟子たちによる高炉は、大橋のほか橋野、佐比内(さひない)、栗林、砂子渡(いさごわたり)などに13座建設されました。
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