更新日: 2024年1月22日
猊鼻渓と幽玄洞の成り立ち~一関市の代表的な観光地はどうやって生まれた?
一関市の猊鼻渓と幽玄洞は、岩手を代表する観光地。
どちらも太古の海で生まれた石灰岩が、水に侵食されることでできた地形です。
猊鼻渓(げいびけい)とは
猊鼻渓は、一関(いちのせき)市を流れる北上川の支流、砂鉄川(さてつがわ)沿いにある全長2㎞、高さ100mほどの岸壁が続く渓谷です。渓谷沿いには奇岩や滝、鍾乳洞などが点在し、船頭が舟を操る舟下りでその景観を楽しむことができます。
1925(大正14)年には、国の史蹟名勝天然記念物に指定され、同時に県内初の名勝指定を受けています。
猊鼻渓の観光地への変遷
猊鼻渓は一関市の代表的な観光地のひとつですが、明治以前は訪れる人もいない秘境でした。
明治時代後期になって、長坂村(現・一関市東山町長坂)村長だった佐藤猊巌(げいがん)をはじめとする地元有志によって観光地化が進められ、1910(明治43)年に「猊鼻渓」と名づけられました。「猊」とは獅子(ライオン)の意味で、猊鼻渓の岸壁から突き出した「獅子ヶ鼻」という岩にちなんだものです。
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