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富山の歴史②:佐々成政によって統一された中世越中

中世の越中は、倶利伽羅(くりから)峠の戦いや一向一揆が起こるなど、激しい争いが繰り返されながら戦国時代を迎えます。天正11(1583)年、越中は佐々成政(さっさなりまさ)によって統一されますが、その後佐々成政は、前田利家が先導を務める豊臣秀吉の大軍に討伐されてしまいます。この結果、越中4郡のうち婦負・射水・砺波の3郡が加賀藩前田家の領地に。後に新川もここに加えられました。

富山の歴史③:前田利次が初代藩主の富山藩が誕生

加賀藩の所領はこのとき、加賀・越中・能登をあわせて百万石どころか120万石にもなっていたため、幕府に厳しく監視されていました。その警戒を緩めるため、婦負と新川の一部を富山藩として誕生させ、前田利次(としつぐ)が初代藩主となったのでした。

寛永16(1639)年、加賀藩から富山藩が分立。

富山県の歴史④:富山県誕生までの変遷

明治4(1871)年の廃藩置県によって、越中のうち旧富山藩領が富山県、旧加賀藩領は金沢県の一部となります。しかし、富山県の正式な成立は明治16(1883)年。それまでの12年間、富山県は極めてややこしい変遷を辿ってきました。

富山県が成立するも新川県に統合

廃藩置県で富山県が成立したと思いきや、すぐに富山県は廃され、砺波・婦負・新川の3郡が新川県として新設されます。これは小規模な行政区画が分散・錯綜して分布した地域が全国で散見されたため、行政区域としてまとまりを欠いた状態を解消する目的によるものです。射水郡はこのとき同じく新設された七尾県に属しますが、七尾県も廃止されたことで新川県に後から移され、越中全域が新川県となります。

明治4(1871)年に、新川県が新設。

明治5(1872)年、射水郡は新川県へ。

富山県は石川県から独立した

明治9(1876)年の府県統合で新川県も廃され、石川県に編入されます。このように近接した県同士の大規模な統合は北陸だけの事例ではなく、全国的な動きではあったのですが、その背景にあったのは明治政府の経済政策。府県は現在のように自治体ではなく、国家の下部機関であったため、政府は府県合併によって地方経営にかかる費用を合理化しようとします。しかし、この頃の石川県議会では、越中の議員団の主張は少数派として退けられる傾向にありました。治水対策を求める富山出身の議員に対し、加賀・能登出身の議員は道路整備を主張したために路線の対立が生まれ越中では分県運動が盛り上がり、明治16(1883)年にはついに分県。富山県が正式に誕生したのです。

明治9(1876)年、新川県が石川県に編入。

富山の歴史⑤:現在は呉東と呉西からなる

現在の富山県は、大きく呉東(ごとう)と呉西(ごせい)に分けられます。さらに、呉東は富山地域と新川(にいかわ)地域、呉西は高岡・射水(いみず)地域と砺波(となみ)地域に区分され、それぞれ越中4郡がベースになっています。藩政初期までは、呉羽山よりも神通川で越中を二分する考えがありました。明治20年頃の史料においてもまだ呉東・呉西の概念は見られず、この考え方がようやく登場したと考えられるのは明治末から大正初期。さらに、昭和初期になると、地誌において呉羽山が東と西で平野を二分するといった表記が見られ、呉羽山の緩やかな起伏が平野を分かつ境界という認識が広まっていったのです。

呉東と呉西の文化・言語の違い

しかし、呉東と呉西の文化・言語的な違いが富山県民に浸透していることを考えると、呉羽山がただの地理的なシンボルであったというだけでは腑に落ちません。かつては司馬遼太郎も呉東と呉西という言葉を用いて、「人文的な分水嶺を県内にもつというのは、他の府県にはない」と書いています。また、単に東西で異なるだけでなく、富山市を中心とした旧富山藩地域と、その両側を囲む旧加賀藩地域とでも違いが見られます。もしかすると、地理的な理由だけでなく、加賀藩と富山藩に分けられた歴史の影響もあるかもしれないと考えを巡らすのも、富山県ならではのロマンと言えるでしょう。

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