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立山カルデラ形成の歴史

飛騨山脈の隆起は約300万年前頃から始まりました。立山連峰では、数十万年前から噴火が始まり、溶岩や火山灰が噴出。これらが、立山地域の基盤である花崗岩類の上に火山岩として堆積し、雨や温泉水によって粘土化し、崩れやすい軟弱な地盤を形成したのです。

さらに立山カルデラ直下には、跡津川断層という横ずれの活断層があり、約3千年ごとに地震を起こしています。累積したずれは水平方向に3㎞にも及びます。この地震によって立山地域の粘土化した脆い火山体は繰り返し崩れて、不安定な土砂を生産してきました。しかもこの地域は、侵食力が強い常願寺川の上流にあたる場所。その侵食作用を受けてできた窪地が立山カルデラというわけです。

立山カルデラによってもたらされる災害

カルデラの内部は穏やかな弥陀ヶ原とは全く異なり、荒々しい崩壊地が目立ちます。これまで何度も崩壊し、内部には土砂がたまり、大雨のたびにその土砂が下流域に流れ出して災害をもたらしてきました

なかでも被害が大きかったのは、安政5(1858)年。飛越(ひえつ)地震によって、立山カルデラ南部の大鳶山(おおとんびやま)・小鳶山(ことんびやま)一帯で「鳶崩れ」と呼ばれる巨大崩壊が発生しました。この崩壊でカルデラ内に土砂が大量に流れ込み、常願寺川源流を堰き止めて天然ダムが形成されました。そして、地震の2週間後と2ヶ月後に天然ダムが決壊。土石流が下流の村々をのみ込み、「安政の大災害」として記録される甚大な被害を富山平野にもたらしました。

立山カルデラの砂防工事で土砂災害を食い止める!

ここで特筆しておきたいのは、立山カルデラに堆積していた土砂がこの災害ですべて流されたわけではないということです。一説では現在もカルデラ内には約2億㎥もの土砂が残るといわれ、「安政の大災害」以降も少しずつ崩壊しては常願寺川へ流れ込み、何度も氾濫を起こしてきました。頻発する氾濫を防止するため、富山県は明治39(1906)年に立山カルデラ内で砂防工事を始めますが、砂防施設も土石流で破壊されてしまうため、単独の工事は限界があると判断。国営化を求めたことから、国の直轄事業として引き継がれることになりました。

立山カルデラの砂防事業は継続が必要

昭和12(1937)年には、日本最大級の貯砂量約500万㎥を誇る本宮砂防堰堤(ほんぐうさぼうえんてい)が完成。さらにその2年後には、白岩砂防堰堤(しらいわさぼうえんてい)が完成しました。これらの堰堤がつくられ始めて以降は、豪雨や土石流が発生しても、富山平野の被害は少なくなっています。すでに100年以上も続く富山の砂防事業は確実に実を結び、砂防関係者から「砂防のメッカ」と呼ばれるほどとなりました。しかし、立山カルデラに現在も堆積する膨大な土砂を考慮すると、今後も砂防事業の継続は必要不可欠なのです。

本宮砂防堰堤周辺図

降雨の時に流れ出る土砂の量を想定し、その土砂の量でも災害とならないように、砂防堰堤をはじめとした設備の整備が進められています。本宮砂防堰堤から車で10分ほどの場所には富山県立山カルデラ砂防博物館があり、立山カルデラや砂防の歴史を紹介しています。

立山火山から噴出した弥陀ヶ原

立山火山から噴出した大火砕流がつくりだした溶結凝灰岩の台地が弥陀ヶ原です。その大部分は雪解け水でできる「雪田草原」と呼ばれる湿原です。1年の約半分が厚い雪に覆われており、なだらかな斜面は水はけが悪いのです。弥陀ヶ原の標高は約1600~2100m。尾瀬の湿原よりも高地にあり、ラムサール条約湿地として日本最高所となっています。年間を通して雪に覆われている期間が長く、微生物による枯れた植物の分解があまり進まないまま土壌が堆積されてきました。泥炭といわれるこの土壌は水を保持する力が非常に強いため、湿地帯を形成しています。

弥陀ヶ原がラムサール条約湿地に認定

2012年、弥陀ヶ原はラムサール条約湿地に認定されました。この条約は、特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関するものですが、実は弥陀ヶ原に生息する水鳥の数自体はそれほど多くありません。しかし、「餓鬼の田」といわれる池塘の独特な景観や、絶滅危惧種であるライチョウなど希少な野生動物の生息地であることが評価され、認定に至りました。

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Part.1 地図で読み解く富山の大地

・立山連峰との高低差4000m!「きときと」ぞろいの富山湾
・黒部ダムが大電源を生み出すまで
・崩壊を続ける立山カルデラ
・極東の氷河の南限は立山! 国内初の氷河認定とライチョウ
・神秘の光景! 魚津の蜃気楼と雨晴海岸の気嵐
・2000年前に形成された魚津埋没林
・富山の水がおいしいヒミツ
・立山の地下には「何か」がある! 活断層はあるのに地震が少ない理由
・富山湾のホタルイカはなぜ有名?

…など

Part.2 富山を駆ける充実の交通網

・北陸新幹線開業による光と影
・河川敷にある富山きときと空港
・SDGs未来都市に選定 ライトレールが象徴するまちづくり
・伏木港は神戸港に憧れた男の夢
・立山の観光ルートは1つじゃない? 一般開放が待ち遠しい黒部ルート
・マッターホルンの麓町から着想 低速電気バスEMUと宇奈月温泉
・鉄オタ集結地! 富山県は公共交通の宝庫
・V字峡谷を走るトロッコ電車

…など

Part.3 富山の歴史を深読み!

・江戸時代は鮎だった! 駅販売で広がったます寿し
・富山県成立までの複雑な歴史/越中の英雄・佐々成政の人物像
・焼け野原と化した富山大空襲/富山の遺跡&古墳は個性派ぞろい
・放生津に存在した亡命政権
・越中の伊能忠敬 射水出身の測量家・石黒信由
・越中の黄金郷 加賀藩極秘の「越中の七かね山」
・北陸近代医療の父・黒川良安
・世界遺産は加賀藩の軍事工場 五箇山でおこなわれた塩硝づくり

…など

Part.4 富山で育まれた文化や産業

・「越中おわら節」はなぜ有名?
・財政難を立て直した富山の売薬
・布教のためのテキストだった 曼荼羅から読み解く立山信仰
・秀吉も称えた伝説の刀工・郷義弘
・売薬商人は危ない橋を渡っていた? 薬の密貿易が生んだ昆布文化
・有名な創業者も多く輩出 富山県民は倹約家で働き者
・ジャポニズムの立役者・林忠正
・アニメの聖地が多い富山県
・瑞泉寺再建から始まった井波彫刻

…など

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