更新日: 2024年1月22日
枕崎港が古来より栄えた坊津にかわり遠洋漁業の拠点に!
古くから中国との交易があった南薩エリア。
なかでも坊津は遣明船の寄港地として栄えていました。
枕崎港が今の賑わいを得るまでの道のりを探ります。
坊津は海上交通の要所だった
坊津(ぼうのつ)とは、坊(ぼう)や泊(とまり)などいくつかの近隣港の総称であり、現在の南さつま市に位置しています。
このエリアのなかでも坊地区は、古来より海上交通の要地でした。奈良時代、唐の高僧・鑑真和上(がんじんわじょう)が日本上陸したのも坊津だったと伝わっています。
坊津港は古くから大陸との交易で賑わった場所
以降、大陸との交易は長きにわたって続き、大陸の多様な情報や品物がこの地に集まり、最先端の場所として賑わいをみせていました。中世には、坊津は倭寇や遣明船の寄港地となり、島津氏の中国・琉球貿易の根拠地となりました。港町には、交易で利益を得た豪商が多く存在していたことがわかっています。
江戸時代、鎖国令が出されたあとにも、坊津の豪商たちは密貿易を続け、藩に利益をもたらしていました。その後、江戸幕府が貿易港を長崎に指定すると一時は衰退しましたが、明治時代にカツオやブリ、サバなど漁業により、ふたたび活気のあるまちへと復活することができました。
同時期、少し離れた場所にあった枕崎(まくらざき)もカツオなどが多く漁獲されるようになり、栄えていきました。
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