更新日: 2024年1月22日
鹿児島は太平洋戦争時の本土防衛の最前線だった!
戦時中の鹿児島県は軍事施設の多い軍都となりました。
大戦末期には本土防衛の最前線となり、連合軍の上陸作戦が実行される寸前でした。
目次
鹿児島の太平洋戦争がはじまるまで
鹿児島県域に陸海軍の飛行場が建設されたのは、1936(昭和11)年が始まりで、鹿屋(かのや)航空基地(鹿屋市西原)にて鹿屋海軍航空隊が発足しました。
翌1937(昭和12)年に廬溝橋事件が起きて日中戦争が始まると、千葉県の木更津航空隊とともに第一連合航空隊を編成し、中国~東シナ海方面への渡洋爆撃を行いました。
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