更新日: 2024年1月22日
西南戦争とは?~国内最後・最大規模の士族反乱~
維新の立役者である西郷隆盛が、明治政府樹立後に士族を率いて反乱を起こしました。
それが国内最後の内戦、西南戦争です。
西南戦争が起こった背景と明治六年の政変
明治維新に尽力した志士のなかでも、とくに功績のあった西郷隆盛(さいごうたかもり)、大久保利通(おおくぼとしみち)、木戸孝允(きどたかよし)の3人を「維新の三傑」と呼びます。
倒幕後、明治政府は李氏朝鮮に国交を求めましたが国書の受け取りを拒否され、政府内では武力で修好条約の締結を迫る案(征韓論(せいかんろん))が提唱されるようになりました。しかし、西郷隆盛は朝鮮半島への出兵には否定的で、自ら使節として朝鮮に赴くと名乗り出て、いったんは明治天皇からも許可されます。ですが、内政を重視すべき(内治優先論)という岩倉具視、大久保利通、木戸孝允らの反対により西郷隆盛派遣は延期されるのでした。
西郷隆盛はこの決定に反発し、参議と近衛都督(このえととく)の職を辞して下野(げや)しました。西郷隆盛に同調する政治家や官僚など600名あまりが辞任してしまいます(明治六年の政変)。
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