目次
薩英戦争の発端となった「生麦事件」
1862(文久2)年に改革が進むと島津久光は薩摩へと帰国することになりましたが、その途上、武蔵国橘樹(たちばな)郡生麦村(神奈川県横浜市鶴見区)で4人のイギリス人が島津久光一行の行列の通行を妨害し、薩摩藩士がイギリス人を殺傷する事件が起きました(生麦事件)。
日本とイギリスが1858(安政5)年に締結した日英修好通商条約では領事裁判権が定められており、日本側が勝手にイギリス人の罪を裁くことはできない取り決めがあったので、薩摩藩士がイギリス人を斬り捨てたことが問題となりました。
薩英戦争の開戦
イギリスは幕府に対して賠償金10万ポンドを要求し、さらに薩摩藩に対しても賠償金2万5000ポンドと犯人の引き渡しを要求しました。幕府はこの要求をのみましたが、薩摩藩は拒否。イギリス代理公使のニールは横浜港のイギリス艦隊7隻を薩摩へと向かわせ、鹿児島湾に停泊させました。
イギリスは軍艦で圧力をかけましたが、それでも薩摩藩は屈しません。そこでイギリス側は、薩摩藩がヨーロッパから購入した蒸気船3隻を拿捕(だほ)して桜島の小池沖まで曳航(えいこう)し、交渉を有利に進めようとしました。
薩摩藩はこの行為に激怒し、数カ所の砲台(83門の大砲)からイギリス艦隊への砲撃を開始。かくして薩英戦争の火蓋が切って落とされたのです。
薩英戦争はイギリス艦隊にも大きな被害を出した
イギリス艦隊は薩摩砲台の射程範囲内に停泊していたため、旗艦のユーリアラス号に砲弾が直撃し、艦長、副長などの士官が戦死しました。
イギリス艦隊は体勢を立て直して反撃に転じ、最新式の「アームストロング砲」の艦砲射撃を行い、鹿児島城下は約1割が焼失してしまいました。
2日間にわたる戦闘の結果、イギリス艦隊が撤退して痛み分けとなりましたが、イギリス艦隊も大破1隻、中破2隻、死傷者63 人と大きな被害を出しました。
薩英戦争要図
天保山砲台のほか、鹿児島城下正面には祇園洲(ぎおんのす)、弁天波止、新波止、大門口、桜島には袴腰(はかまごし)、赤水、烏島に砲台が築かれていました。さらに南波止、沖小島にも臨時砲台が設けられました。
薩英戦争の終結
薩英戦争から3カ月後、薩摩藩とイギリス代理公使ニールは横浜のイギリス領事館で交渉の席に着きます。交渉は難航しましたが、最終的には生麦事件の賠償金は薩摩藩の支藩である佐土原藩が幕府から借金して支払うことになりました(幕府への返済は行われませんでした)。
欧米列強との実力差を痛感した薩摩藩では、イギリスから最新の技術や知識を学ぶべきとする論調が高まり、近代化を進める動きが加速していきました。1864(元治元)年に旧集成館機械工場(現・尚古集成館)の建設が始まり、その周囲には鋳物工場や鍛冶場などの工場が次々と建てられました。
薩英戦争を経て友好関係が築かれる
いっぽうのイギリスも、幕府より薩摩藩に接近するようになり、以後、薩英は友好関係を築くようになりました。
1865(慶応元)年には薩摩藩は19名から成る遣英使節団を派遣し、このときの使節には五代友厚や寺島宗則が、藩費留学生にはのちに初代文部大臣となる森有礼(もりありのり)がいました。こうした人材が明治新政府を支えていったのです。
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