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薩英戦争で西欧の強さを認識した薩摩藩は近代化を加速させていく 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月22日

薩英戦争で西欧の強さを認識した薩摩藩は近代化を加速させていく

生麦事件に端を発して薩摩藩とイギリス艦隊が交戦状態に突入しました。
両陣営とも大きな被害を出しますが、薩英は戦後に結びつきを強めていったのです。

薩摩藩主・島津斉彬の逝去

外国船が来航し、鎖国状態から開国へと向かう政治的混乱を治めるために、幕府は各種制度の見直しに着手しました。これを文久の改革といいます。

改革を主導したのは薩摩藩主・島津斉彬(なりあきら)でしたが、島津斉彬は志半ばにして病死。甥の島津忠義が藩主に就き、その父・島津久光は薩摩藩の事実上の最高権力者として島津斉彬の遺志を汲み、江戸にのぼって文久の改革を受け継いだのです。

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