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「薩摩島津中興の祖」と呼ばれた名将・島津忠良と息子の貴久
分家の伊作(いざく)島津家から頭角を現したのが島津忠良です。島津忠良は薩州島津家との争いを収めて薩摩半島を平定し、息子の島津貴久に島津宗家を継がせました。
1550(天文19)年、それまで島津宗家が守護所としていたのは清水城(鹿児島市清水町)でしたが、あらたに内城(うちじょう)(鹿児島市大竜町)を築いて本拠としました。なお、隠居した島津忠良は城下町の整備や養蚕など各種の産業を興し、のちに「島津中興(ちゅうこう)の祖」と評されます。
薩摩島津家の16代当主となった島津義久
島津貴久は大隅国へと進出していきました。大隅国には古くからの国人衆(こくじんしゅう)が多く、なかでも有力であったのが蒲生氏(がもう)しです。
1554(天文23)年から1557(弘治3)年にかけての大隅合戦に勝利。この大隅合戦の最中に初陣を飾った島津貴久の嫡男・義久は、1566(永禄9)年に家督を継承して16代当主となりました。
島津義久が成し遂げた三州統一
薩摩や大隅の統一事業を引き継いだ島津義久は、薩摩、大隅、日向、肥後の4国が接する要衝の真幸院(まさきいん)(宮崎県南西部)の領有を巡って日向国の伊東氏と対立します。
1572(元亀3) 年に木崎原(きざきばる)合戦で伊東氏に勝利し、その4年後には伊東氏の高原城(たかはるじょう:宮崎県西諸県郡) を陥落させて日向国を領国化し、薩摩・大隅・日向の三州統一を成し遂げるのでした。
薩摩島津氏の支配領域の拡大
伊東氏の当主・義祐(よしすけ)は豊後(ぶんご)国(大分県) の大友宗麟(おおともそうりん)を頼り、日向の島津領は大友軍の侵攻を受けることになりました。
ですが、1578(天正6)年の耳川の戦いでは、伏兵を用いた戦術「釣り野伏せ(つりのぶせ)」を駆使して大友軍を撃退。その後、1584(天正12)年の沖田畷の戦い(おきたなわてのたたかい)では、肥前(ひぜん)国(佐賀県・長崎県)の龍造寺隆信(りゅうぞうじたかのぶ)を討ち取り、島津氏の支配領域は筑前(福岡県西部)や豊後にまで広がり、九州統一に迫っていたのです。
薩摩島津氏と豊臣秀吉による「九州平定」
このとき大友宗麟は豊臣秀吉に助力を願い、秀吉は九州での私戦を禁じる惣無事令(そうぶじれい)を出します。島津氏がこれを無視したために、1586(天正14)年から秀吉の九州征伐が始まります。
緒戦こそ戸次川(へつぎがわ)の戦いで豊臣軍を退けた島津軍でしたが、秀吉が直々に出兵する段になると、豊臣軍は総勢約20万人の大軍を動員しました。秀吉の弟の秀長は約10万の兵を率いて九州東部を南下し、秀吉は小倉から九州西部を南進しました。
その途上で、島津氏に服属していた諸大名や国人はことごとく豊臣方に下っていきます。島津軍は根白坂(ねじろざか)(宮崎県児湯郡)で大敗し、1587(天正15)年5月、義久は剃髪して泰平寺(薩摩川内市大小路町)に陣を構える秀吉に拝謁し、降伏の意思を伝えました。
秀吉は島津義久に薩摩一国を安堵し、島津義久の弟・義弘に大隅一国を、義弘の子に日向国諸県郡を宛がうのでした。
秀吉の九州遠征
1587(天正15)年3月28日に遠征軍を率いた秀吉が九州に上陸。秀吉軍と秀長軍の二手にわかれ、それぞれ薩摩国を目指して南下していきます。同年5月8日に泰平寺にて和睦を結び、終戦を迎えました。
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Part.2 鹿児島を駆け抜ける充実の鉄道網
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・新大阪からの直通も走る!九州新幹線鹿児島ルートの全貌
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・日本最長の寝台特急も走った九州東部を縦貫する日豊本線
・「おれんじ食堂」の投入など奮闘する肥薩おれんじ鉄道
・開聞岳ほか薩南の絶景を満喫!JR最南端駅もある指宿枕崎線
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Part.3 鹿児島で動いた歴史の瞬間
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・国内最古級の大規模な定住集落跡・上野原遺跡とは?
・政府と薩摩の間に起った軍事的衝突
・日本の南の玄関口・鹿児島に鉄砲やキリスト教が伝来
・九州統一を目指す島津氏VS九州攻めに乗り出した豊臣秀吉
・江戸~薩摩間約1700㎞!最も遠方からの参勤交代
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・薩英戦争が薩摩藩にもたらした近代化と倒幕への方針転換
・戦後アメリカの統治下となった奄美群島が日本復帰
…などなど鹿児島の歴史を徹底解説。
Part.4 鹿児島で育まれた産業や文化
・近代産業の礎を築いた集成館
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・かつては海軍の航空基地・鹿児島空港開港の歴史
・志布志湾に浮かぶ人工島にある志布志国家石油備蓄基地とは?
・鹿児島臨海工業地帯の造成の変遷をたどる
・ロケット打ち上げ施設は国内唯一・日本で宇宙に一番近い県
・古代より栄えた坊津の港に代わり枕崎が遠洋漁業の拠点に!
・本土が半分がやせたシラス台地なのになぜ全国有数の農業県になれた?
…などなど鹿児島の産業と文化を丁寧に解説。
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