更新日: 2024年1月22日
鹿児島にキリスト教や鉄砲が伝来!~日本の南の玄関口~
16世紀、西欧はアジアに植民地を得て、日本まで交易圏を広げてきました。
鹿児島県域は南の玄関口として、南蛮人を受け入れていったのです。
目次
鹿児島にキリスト教と鉄炮がもたらされる
戦国時代にヨーロッパから鹿児島県域にもたらされたものとして、鉄砲(火縄銃) とキリスト教があります。
1543(天文12)年、大隅国の種子島に一艘の中国船が漂着しました。この船の船長は王直といい、平戸や五島列島を拠点として活動していた和寇(海賊)の頭領です。王直の船には3人のポルトガル人が乗っていました。
ポルトガルは1510(永正7)年にインドのゴアを武力で占領したのち、マラッカ王国を征服。ポルトガル商人の活動範囲は南シナ海から東シナ海まで拡大し、中国商人や和冦と接触するようになっていました。
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