更新日: 2024年1月22日
島津家が統べる薩摩・大隅・日向~守護大名から戦国大名へ
中世の鹿児島は島津氏によって支配されました。
その島津氏もつねに盤石だったわけではなく、内紛を乗り越えて戦国大名化したのでした。
島津忠久を祖とする島津家
鎌倉に日本最初の武家政権(鎌倉幕府) が誕生すると、日本はそれまでの貴族にかわり、武士が支配するようになりました。
鹿児島県域では、1185(文治元)年に島津忠久(ただひさ)が島津荘下司職に補任(ぶにん)されます。島津忠久は母親が源頼朝の乳母子(めのとご)だった関係で重用され、薩摩国、大隅国、日向国の守護職に任じられました。この島津忠久を祖とする島津氏が次第に在地化していき、鹿児島県域を支配することになります。
鹿児島県域の中世の荘園図
島津荘は11世紀前期に日向国諸県郡島津に成立。以降、島津に隣接した地域(同郡救仁郷など)が島津荘域化していったと考えられています。
※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。
まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!