目次
薩摩隼人とヤマト王権の関係性
畿内(きない)に成立したヤマト王権(中央府)は支配領域を拡大し、中央集権化を進めていきました。7世紀の中頃には、現在の鹿児島の本土部分から宮崎県にかけての広範な地域に、令制国(りょうせいこく)として日向国が成立しました。
『日本書紀』(720年成立)には、682(天武天皇11)年のできごととして「大隅隼人と阿多隼人が中央府で相撲を取り、大隅隼人が勝った」との記述があります。
ですが、中央府による版図(はんと)拡大は、かならずしも円滑に進んだわけではありません。東国では「蝦夷(えぞ)」(中央府に従わない人々)がたびたび反乱を起こし、中央府は征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)を遣わして反乱鎮圧に向かわせました。
いったんはヤマト王権に服属した隼人たちも、しばしば中央府に対して抵抗を示します。
薩摩隼人の反乱に伴い日向国を分割
701(大宝元)年に大宝律令(たいほうりつりょう)を完成させた中央府は戸籍づくりを進めますが、隼人たちはこの政策に反発。翌702(大宝2)年に薩摩・多褹地方で反乱が起きます。
中央府はこの乱を機に日向国から唱更国(はやひとくに)と多褹国を分立し、さらに713(和銅6)年には日向国から4郡(肝属(きもつき)、曽於(そお)、大隅、姶羅(あいら))を割いて大隅国を設置。豊前(ぶぜん)国から約5000人を移住させました。
その3カ月後、政府は「隼賊」を討った将や士卒に勲位を授けており、大隅国の設置前後にも軍事衝突があったことが垣間見えます。
8~10世紀頃の鹿児島県域の郡郷図
702(大宝2)年に薩摩国、713(和銅6)年に大隅国が成立。薩摩国13郡のうち高城(たき)郡と出水(いずみ)郡の2郡は移住者・外来者の居住地「非隼人郡」とされました。大隅国にも豊前国の人々の移住地として桑原郡が設けられました。
薩摩隼人とヤマト王権のもっとも大きな戦い「隼人の反乱」
中央府と隼人のもっとも規模の大きな戦いは、720(養老4)年に起きた「隼人の反乱」です。大隅国司が隼人によって殺害されると、中央府は中納言・大伴旅人(おおとものたびと)を征隼人持節大将軍とする征討軍を興します。
九州全域からおよそ1万の兵を集めましたが、その主力は西海道(さいかいどう)の兵であったといわれます。中央府側は大軍を擁したものの、隼人の抵抗に手を焼き、合戦は1年半近くにも及びました。
結局、中央府軍が勝利を収め、隼人側の戦死者と捕虜の合計は1400人にものぼったのです。
薩摩隼人と班田収授法
反乱鎮圧後、中央府は大隅国と薩摩国に通常の2倍以上の朝貢(ちょうこう)を行わせました。しかし、中央府は隼人の反発を恐れ、大隅国と薩摩国では班田収授法の実施に踏み切れませんでした。
班田収授法とは、戸籍に基づき口分田(くぶんでん)を与え、税を徴収した土地制度のことであり、律令制の根幹をなす法です。両国で班田制が導入されたのは800(延暦19)年になってのことでした。
古代南九州の官道
古代南九州の官道には「肥後日向路」と「西海道」がありました。
肥後日向路は日向国府(宮崎県西都市)と肥後国府(熊本県熊本市)を直接結ぶ駅路で、『日本書紀』における景行天皇の西征路に近いことから隼人服属以前の道を下敷きにしていると思われます。
西海道は日向国府から大隅国府(霧島市)を経る東路と、薩摩国府(薩摩川内市)から肥後国府に至る西路とがあり、これらは薩摩・大隅国設置後に整備されたと考えられます。
官道想定ルート
『延喜式』兵部省の諸国駅伝馬によると、薩摩国内には市来(いちく)、英祢(あくね)、網津(おうづ)、田後(たしり)、櫟野(いちいの)、高来(たかく)の6駅があったといわれます。
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・九州統一を目指す島津氏VS九州攻めに乗り出した豊臣秀吉
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・薩英戦争が薩摩藩にもたらした近代化と倒幕への方針転換
・戦後アメリカの統治下となった奄美群島が日本復帰
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Part.4 鹿児島で育まれた産業や文化
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・かつては海軍の航空基地・鹿児島空港開港の歴史
・志布志湾に浮かぶ人工島にある志布志国家石油備蓄基地とは?
・鹿児島臨海工業地帯の造成の変遷をたどる
・ロケット打ち上げ施設は国内唯一・日本で宇宙に一番近い県
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