更新日: 2024年1月22日
上野原遺跡とは?~鹿児島県内最古級の大規模な定住集落跡~
霧島市にある上野原遺跡は、考古学上の定説を覆すものでした。
上野原台地に住んでいた古代鹿児島人はどのような暮らしをしていたのでしょうか。
上野原遺跡の発見
霧島市国分(こくぶ)の市街地から南東におよそ2km、錦江湾(きんこうわん)に面した標高約250mの台地を上野原台地(うえのはらだいち)と呼びます。北に霧島連山、南に錦江湾と桜島を一望できるロケーションに上野原遺跡(霧島市国分上野原縄文の森)があります。
上野原遺跡は、1986(昭和61)年、工業団地(国分上野原テクノパーク)を造成中に発見。鹿児島県教育委員会によって1996年まで発掘調査が続けられ、2条の道跡とともに竪穴住居跡52軒、集石遺構(しゅうせきいこう)39基、連結土坑(れんけつどこう)16基が確認されたのです。
これらの遺跡は、約1万1500年前の桜島の火山灰の層の上から見つかりました。このうちいくつかの竪穴住居内の竪穴を埋めた土には、約9500年前に噴火した桜島の火山灰が混じっていたことがわかっています。このことから、上野原遺跡は、縄文時代早期前葉(約9500年前)に存在していた集落跡であると推測されています。
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