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栃木はイチゴ王国には程遠かった
1935(昭和10)年前後に生産は全国に広がりますが、この時点ではまだ栃木県の名前は出てきません。1934(昭和9)年の農水省の調査でも、関東の6府県において栽培面積が最大であった茨城県の160haに対し、栃木県では最低の8haという寂しい結果でした。やがて戦争の影響でイチゴは作付けが制限されるか生産中止となります。
栃木でイチゴ栽培が盛んになったのは戦後
状況が変わったのは戦後です。1950(昭和25)年頃からイチゴ栽培が各地で再開されると、やがて破竹の勢いで栃木県の生産量が拡大。1968(昭和43)年には収穫量日本一となりました。この時期、栃木のイチゴに革命的な何かが起きたことは間違いありません。
栃木をイチゴ王国へと導いた仁井田一郎
足利市に「栃木県苺発祥地」の記念碑があります。足利郡御厨町(みくりやまち)(現・足利市)の農業技術研究家・仁井田(にいた)一郎は、戦後間もない頃、減反政策により向上しない農家の収益を上げるため、稲の裏作となる作物を探していました。そんな折、イチゴと出合います。当時のイチゴは、温暖な静岡県や神奈川県での露地栽培が主流でした。仁井田一郎は静岡へ視察に訪れ、8本の苗を持ち帰って植えてみますが失敗。しかし彼のイチゴへの情熱は衰えず、今度は小回りのきく自転車で神奈川まで出向き、イチゴ農家を直に訪ねて話を聞くなど懸命に取り組みます。その結果、昭和30年代頃には、東京に出荷できるまでになりました。
栃木がイチゴ王国になるまで:高冷地育苗の試行
さらに仁井田一郎は研究を重ね、田沼町( 現・佐野市)の柿沼兵次(かきぬまひょうじ)らとともに、日光戦場ヶ原などに苗を「山上げ」する「高冷地育苗」を試行。そのおかげで、昭和40年代には、それまで5~6月に出荷されていたイチゴが2月に出荷できるようになりました。
栃木がイチゴ王国になるまで:新品種の開発や夜冷育苗施設の導入
そうして1985(昭和60)年、栃木県農業試験場から新品種「女峰」が誕生し、待望のクリスマス時期に合わせた出荷が実現します。さらに1987(昭和62)年に夜冷育苗施設が導入されると、出荷時期は11月上旬まで早まり、イチゴの収穫量は格段にアップしました。現在全国の作付面積の3割を占める「とちおとめ」が、同試験場から生まれたのはその後のことです。
栃木がイチゴ王国として君臨し続ける背景にあるものとは?
2019(令和元)年の栃木県のイチゴ生産状況は、収穫量2万5400tで52年連続日本一、作付面積は533haで19年連続日本一、産出額は257億円で24年連続日本一、と記録を更新しました。栃木県農業試験場では2008(平成20)年、場内に全国初の「いちご研究所」を立ち上げ、イチゴ農家とともに、日々、品種や栽培方法の研究と開発に邁進しています。さらに宣伝や品質管理、流通はJAが担当し、こうした三位一体の底力が「いちご王国・栃木」を支えているのです。
栃木のイチゴの品種いろいろ
栃木のイチゴ:とちおとめ
女峰よりも大粒で甘みが強く果肉がしっかりしています。現在国内で最も多く栽培されています。
栃木のイチゴ:とちひめ
果実が大きく甘みが強いがデリケート。イチゴ狩り用の品種として栃木県内のみで栽培。
栃木のイチゴ:なつおとめ
夏から秋の収穫に適した品種として育成。暑い時期でも日もちが良く、主 にケーキ用に出荷。
栃木のイチゴ:スカイベリー
果実が大きくて美しく、味はまろやか。高級贈答品用として新たな需要の開拓が期待されています。
栃木のイチゴ:ミルキーベリー
大果で果皮、果実ともに白さが際立ちます。ミルクのような白さとまろやかな食感が名前の由来。
栃木のイチゴ:とちあいか
2020(令和2)年に名前が決まった新品種。酸味が少なくて甘みが強く、病気に強いのが特徴。
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Part.1 地図で読み解く栃木の大地
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Part.3 栃木で動いた歴史の瞬間
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・名族宇都宮氏の栄枯盛衰
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・「一の宮」が2つ? 日光二荒山神社と宇都宮二荒山神社
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Part.4 栃木で生まれた産業や文化
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・半世紀にわたって生産量日本一!! 栃木はなぜいちご王国になった?
・関東平野が工業誘致にぴったりだった? 宇都宮は新たなものづくり都市へ
・「それって栃木?」県名抜きで知名度の高い観光名所
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