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荒廃の極みにあった下野国の農村部

江戸時代の中頃から後半にかけて、下野国の農村部は貨幣経済の発展による混乱や度重なる飢饉などで、荒廃の極みにありました。1756(宝暦6)年に約95万人であった下野の人口は、およそ80年後の1834(天保)5)年には61万人にまで減少。農民が逃げ出した村の田畑は耕す人もなく、草木の繁るままの荒地となっていきました。

小田原藩主大久保家の分家、宇津家が支配する桜町領(旧・二宮町と旧・真岡(もおか)市に属する3村、現在はすべて真岡市)でも、それは同様でした。真岡木綿の産地として栄えていた桜町領でしたが、天明の飢饉や年貢の厳しい取り立てなどにより、民心は刹那的となり荒廃。領内の家数は離村や断絶などで約130年前の3分の1にまで減り、年貢の激減で宇津家は江戸城への出仕すらできないほどに没落しました。宇津家は、本家・大久保家の援助でようやく暮らしているありさまでした。

二宮尊徳は桜町領の再建を託される

そこで、小田原藩内における農政改革や武家の財政再建に成功し、経世家・農政家として評価が高まっていた二宮尊徳に、桜町領の再建が託されたのでした。事前調査をしたうえで、桜町領の再建を請け負った二宮尊徳は、1823(文政6)年、小田原にある田畑や家財をすべて処分し、家族とともに桜町領へ移住。「報徳仕法」と呼ばれる独自の農村復興政策で、桜町領の再生に取り組みました。

報徳仕法とは?

報徳仕法とは、まず農民が無理なく納められる年貢高を「分度(ぶんど)」とし、これに基づいて領地の財政計画を立てます。そのうえで、年貢を納める農民はもとより、領主にも分度の枠内に収まる倹約した生活を求めました。一方で農民には、無利子で資金を貸し付けて荒れた田畑の再開発を促し、借り入れた資金を生かして新たな利益を得ることをすすめました。再開発された田畑からの年貢や、借入金を返済したあとの農民からの寄付(報徳冥加金)は、定められた分度を越える余剰金となるので、これをプールし、新たな農村改革のための資金として活用するのです。

二宮尊徳は報徳仕法によって復興計画を実現した

報徳仕法の実施により、桜町領の復興は当初の計画をはるかに上回る成果を上げ、二宮尊徳の入村から15年後の1837(天保8)年、復興計画を実現した桜町領は、宇津家に無事引き渡された。のちに「桜町仕法」と呼ばれた二宮尊徳による農村復興事業は、下野国の多くの人々に知られるところとなります。その結果、茂木(もてぎ)(谷田部)藩や烏山(からすやま)藩、さらには神領(しんりょう)とされた幕府が治める日光の領地においても、二宮尊徳やその弟子たちが招聘され、報徳仕法による農政改革が盛んに行われるようになったのです。

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