更新日: 2024年1月22日
二宮尊徳は報徳仕法で旧・二宮町を救った~小田原生まれの二宮金次郎がなぜ栃木県に?~
二宮尊徳といえば、旧・二宮町の名前の由来となった江戸時代の偉人。小田原生まれの尊徳が、なぜ下野の農村復興に取り組み、大きな成果を上げたのでしょうか?
二宮尊徳とは
二宮尊徳(にのみやそんとく)(金次郎)は、江戸時代後期、農村復興に尽力した経世家(けいせいか)・農政家として知られています。かつて、全国各地の学校の校庭には、薪を背負いながら勉学にいそしむ二宮金次郎の銅像が置かれていました。子どもたちが目指すべき理想の日本人像とされてきただけに、シニア世代にとっては、なじみの深い人物でしょう。その後半生を荒廃した下野(しもつけ)の農村復興に捧げ、今市(いまいち)で生涯を終えた二宮尊徳ですが、実は下野から遠く離れた相模国小田原の出身であることをご存知でしょうか。
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