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栃木県の歴史①:下野国最大の領主・宇都宮氏の所領が秀吉にすべて没収される

室町時代末期、壬生(みぶ)氏や小山(おやま)氏など、歴史ある下野の旧族領主の多くは、戦乱のなかで没落、あるいは国を去っていきました。こうしたなか、応仁の乱以来の戦乱を治めて天下を統一した豊臣秀吉は、1597(慶長2)年、下野国における最大の領主であり、平安以来の長い伝統を誇る名門・宇都宮氏に対し、改易を申し付けます。その理由は、検地によって明るみになった軍役忌避とも、あるいは宇都宮氏内のお家騒動だともいわれていますが、はっきりとしたことはわかっていません。いずれにしてもこの改易により、河内・芳賀(はが)・塩谷(しおや)にあった宇都宮氏の所領は、すべて秀吉に没収されました。領主の宇都宮国綱(くにつな)は岡山の宇喜多秀家に預けられ、芳賀氏や祖母井(うばがい)氏など宇都宮氏ゆかりの武士たちも勢力を失います。

栃木県の歴史②:藩主が定まらなかった宇都宮藩

1598(慶長3)年、宇都宮氏の旧領には、秀吉の命を受けて蒲生秀行(がもうひでゆき)が会津から入封します。しかしその3年後には、関ヶ原の合戦の功績から蒲生氏は会津に再び戻され、代わって徳川家康の外孫にあたる奥平家昌(おくだいらいえまさ)が、10万石の藩主として宇都宮に置かれます。その後も宇都宮藩主は次々とすげ替えられ、1710(宝永7)年に戸田忠真(ただざね)が入封したときには、6万7800石の小大名となっていました。

栃木の歴史③:分割支配された下野国

徳川幕府は、江戸の北東に位置し、奥州への出入り口となる下野国の要所に、譜代大名や旗本を細かく配置する方針を取り、国はさらに分割支配されていきます。その結果、幕末期の下野国内の支配領別の石高の比率を見ると、大名領が50.6%と下野国全体の半数をわずかに超えている程度なのに対し、旗本による支配地が34.6%と、非常に大きな割合となっています。さらに幕府の直轄領が11.3%、寺社領が3.5%でした。しかも、大名領の約3分の1は、古河藩や彦根藩など、他国の藩が領有する飛地領なのでした。また、寺社領の比率が比較的高いことも特徴ですが、これは、徳川家最大の聖地・日光山経営のため、幕府が所領を寄進したことが大きい。

下野国は幕府内の大名のために利用された

さらに、江戸期の下野における大名は、近世以前から続く黒羽(くろばね)藩と大田原(おおたわら)藩、古河公方(こがくぼう)の流れを汲む喜連川(きつれがわ)藩、肥後(ひご)の細川忠興(ただおき)の弟、興元(おきもと)が立藩した茂木(もてぎ)藩以外は、大部分が徳川譜代の小藩でした。そのうえ、短期間で他国へ転封されることが多かったのです。これは幕府内で要職に就く大名のための領地として、下野国の城地が利用されたからだといいます。このように、度重なる領地替えを調整するために幕府の直轄領も年々増え、それらがさらに細かく分割されて、旗本領や他国の大名の飛地領が生まれていったのです。

栃木県の領地分散の歴史は県民性に通じるものがある?

こうした江戸期の領地分散が、未だに栃木の県民気質に少なからぬ影響を与えているとの指摘もあります。しかし、一方でこうした多様性が栃木の強みであり、多彩な地域文化を育んできたともいえるでしょう。

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