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宇都宮が師団誘致に乗り出した理由
戊辰戦争で戦火に焼かれた宇都宮市でしたが、明治になり栃木県の県庁所在地として再び復興を遂げます。しかし、東京と東北を結ぶ鉄道路線が宇都宮からさらに北へ延伸すると、物資や旅客は宇都宮をそのまま素通りすることとなり、商業都市としての発展が行き詰まるようになっていきました。そんななかでの師団誘致は、まさに経済発展の起爆剤となるものと考えられました。師団の人数は平時と戦時で大きく異なるものの、1万人ほどであるのが一般的。つまり宇都宮に新師団が移駐すれば、市の人口が一気に1万人増えるのです。その1万人が必要とする食料や日用品、その他の消費は、宇都宮の経済に莫大な利益をもたらすことはいうまでもありません。
第十四師団の宇都宮駐屯が決まる
官民挙げての師団誘致活動が精力的に進められ、日露戦争の終結から2年後の1907(明治40)年、陸軍第十四師団の宇都宮駐屯が決定。これを受けて兵舎や軍道の建設が急ピッチで進められました。その結果、長年にわたって宇都宮の懸案であった水道の敷設工事も、一気に進んだといいます。
宇都宮での師団による消費は飛躍的に増大
こうして1908(明治41)年3月から翌1909(明治42)年にかけて、師団司令部をはじめ、歩兵・騎兵・砲兵などの連隊、輸送部隊などが移転を終えます。また、当初は九州や中国地方出身者で占められていた第十四師団は、順次、北関東出身の兵士たちに入れ替わっていきます。そして当初の目論見通り、師団による消費は飛躍的に増大しました。たとえば、1911(明治44)年の宇都宮市の予算が15万円であったのに対し、第十四師団が宇都宮市内で消費した金額は96万円と、市の予算の6倍以上に達したといいます。
第十四師団の駐屯に対する反対や反発も
多くの宇都宮市民に歓迎された第十四師団の駐屯ですが、それに対する反対や反発も見られました。特に、鉱毒事件の影響で労働運動が盛んであった足尾やその周辺地域では、「労働運動が軍隊に弾圧される」との懸念が持たれました。実際に第十四師団の本格的な移駐が始まる前年、師団指揮下の高崎歩兵第十五連隊が、足尾銅山で起こった暴動を鎮圧するという事件もありました。
第十四師団によって宇都宮は「軍都」として栄えた
第十四師団の駐屯により、宇都宮市では人口が増えただけでなく、商業戸数も急激に増加し、軍隊を主な相手とした飲食店や花柳界も栄えることとなります。そして、軍隊と強く結びついた宇都宮市は、いつしか「軍都」と呼ばれるようになりました。
第十四師団のおかげで宇都宮名物・餃子が誕生した!?
ちなみに、現在宇都宮の名物となっている餃子も、中国から引き揚げた第十四師団の兵士たちがその食文化を伝え、宇都宮で広まっていったといわれています。
第十四師団関連施設の位置
大正4年頃の図と現在の地図を見比べると、軍関係の施設がどのあたりにあったかがわかります。師団司令部があったのは現在の国立病院機構栃木医療センターあたりで、ここから兵器廠(現在の県中央公園付近)までの「軍道」は桜並木となっていきました。
宇都宮の中心部に秘密の地下壕!?
宇都宮市の中心部にある八幡山公園は、桜やツツジの名所として親しまれています。しかしこの公園の地下に、秘密の地下壕があることはあまり知られていません。太平洋戦争末期、軍は当時の宇都宮師管区司令部の機能を八幡山の地下に移すことを決定。工事は1945(昭和20)年6月中旬から始まり、8月15日の敗戦から数日後まで続いていました。敗戦後も工事を続けたのは、占領軍に未完成の工事を見せては、日本軍の名がすたるという理由だったと伝えられています。
※総延長721mにも及ぶ、八幡山地下壕。現在は坑内の安全性に問題があるため、一般公開していません。
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