更新日: 2024年1月22日
藤原秀郷とは何者か?~承平天慶の乱で平将門を討った豪傑~
関東で起こった平将門の乱は、武士の時代の幕開けを告げます。この乱で将門を破った藤原秀郷は、中世・下野国で重要な役割を果たす多くの武家の祖先でした。
藤原秀郷が生きた時代背景
大宝律令(たいほうりつりょう)の制定から200年以上が過ぎ、地方においては新たな土地の開発が進められる一方、それらの支配権は複雑化していきます。このため土地をめぐり、中央政府の意を受けた国司と地域の有力な豪族、あるいは豪族同士の対立が大きな問題となりました。このような時代の要請を受けて、対立の調停者として台頭してきたのが、地方における有力な「武士」たちです。その多くは土着した軍事貴族であり、武芸に秀でた彼らは多数の兵を養い、武装集団と化していきました。
武士時代の幕開けを告げた平将門の乱
桓武天皇の曾孫であった高望王は、平朝臣(たいらのあそん)を賜姓(しせい)され国司として上総(かずさ)国に赴任。その後、土着していきました。この高望王の孫として生まれたのが平将門(まさかど)です。平将門は現在の茨城県西部に当たる下総(しもうさ)の豊田や猿島といった地域に勢力を張り、武力を蓄えていました。この平将門が、常陸(ひたち)や下野(しもつけ)など関東各地の国府を襲い、自らを「新皇(しんのう)」と称して都に叛旗をひるがえしたのが939(天慶2)年に起こった平将門の乱で、瀬戸内海での藤原純友の乱と併せて、承平天慶の乱と称されます。
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