更新日: 2024年8月30日
足利学校はなぜ栄えた? ザビエルやフロイスも讃えた「坂東の大学」
下野国足利荘には、全国から学徒が集まり学問に励んだ「足利学校」がありました。外国人にも高く評価された中世日本最大の学校は、なぜこの地で栄えたのでしょうか?
目次
足利学校とは?
古代から中世まで、日本における文化や学問の中心は、都である京都でした。ところが室町時代、下野国足利荘(しもつけのくにあしかがのしょう)に「日本国中最も大にして最も有名なり」と評された教育機関がありました。それが足利学校です。学校としての規模は、「日本最大」ともいわれ、好学の志を持った人々が、ここで儒学を中心に兵学や医学、占星術や天文学など、多岐にわたる学問に励みました。
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