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羽咋の町おこし!「UFOのまち」の定着
ここに着目したのがスーパー公務員と名高い高野誠鮮(じょうせん)氏でした。この伝承を知って以降、少しずつ「UFOのまち」というイメージを定着させてきたのです。
やがてUFO国際会議を開こうと思い付き、自らの足で上場企業をまわり協賛金を募りました。最初は企画書の書き方も分かりませんでしたが、企業をまわるうちにノウハウを積み重ね、いつのまにかお金を引き出せる企画書を書けるようになっていたそうです。そして1990年、ついに高野誠鮮氏の夢は実現します。『第1回 宇宙とUFO国際シンポジウム』が開催されたのです。
このとき、アメリカ合衆国初の宇宙ステーション「スカイラブ」における最後の有人宇宙飛行に参加した船長を招き、講演をしてもらうまでにいたりました。9日間で5万人を集めたイベントは、関係者たちの苦労をもふきとばす大成功といえました。
コスモアイル羽咋のオープン!NASAから借りた月面・火星探査機は100年契約!?
1996年には、UFOのまちの拠点といえる「コスモアイル羽咋」がオープン。国からの補助金も含め約52億円もの予算が出ましたが、併設の図書館や大ホールの建設で予算のほとんどが消え、肝心の宇宙やUFOに関する展示に使う資金が不足してしまいます。しかし、ここでも高野誠鮮氏の行動力が光ります。
予算問題を抱えたまま、まずはアメリカのスミソニアン博物館を見学に訪れました。そこで展示されていたのは、レプリカではなくすべて本物。本物の迫力価値に圧倒された高野誠鮮氏は、再度単身で渡米し、あろうことかNASAに乗り込みました。広報部長に収蔵庫を見せてもらい、月面・火星探査機「ルナ・マーズローバー」を借りる許可を取り付けただけでなく、借用書にある借用期間欄に“10decades”(100年間)と書き込みました。スタッフたちには冗談だろうと大笑いされたが、必死の説得で高野誠鮮氏の心意気と熱意が通じたのか、100年契約が了承されたというから驚きです。
コスモアイル羽咋はソビエト連邦(ロシア)から宇宙船を買った!
NASAの次は、ソビエト連邦の宇宙船を買い付ける話をまとめるにいたりました。差し出されたのは、「ヴォストーク宇宙カプセル」、「モルニア通信衛星」、「無人月面探査機ルナ24号」の3機。一旦NASAに運び込み、技術者にすべて本物であることを確認してもらったといいます。
しかし、いつのまにか買い付けの請求額が1桁多くなっているというトラブルがあり、なんとか再交渉して事前に提示した金額で決着がついたようです、しかし、高野誠鮮氏はこのとき命の危険を感じたと語っています。
コスモアイル羽咋の名前の由来
こうして途方もない苦労と努力の末、本物の宇宙機材が羽咋へとやってきました。江戸時代、外国人との交流の先進地であった出島になぞらえて、コスモアイルの名には“宇宙の出島”という意味が込められています。
名誉館長には、未知現象の第一人者として知られる矢追純一氏が就任。本物を重視するコスモアイルらしい人選です。
コスモアイル羽咋周辺地図
コスモアイル羽咋の売店では、宇宙食も販売されています。実際に宇宙空間で食べられたカレーなどが買え、マニアックなおみやげを探すにはもってこいです。近くには、千里浜なぎさドライブウェイもあります。
コスモアイル羽咋(宇宙科学展示室・コスモシアター)
- 住所
- 石川県羽咋市鶴多町免田25
- 交通
- JR七尾線羽咋駅から徒歩10分
- 料金
- 宇宙科学展示室=大人400円、小人200円/コスモシアター=大人500円、小人300円/(15名以上は2割引、障がい者手帳持参で半額)
ミステリアスな文化財が残る豊財院
能登総持寺を開山したことでも知られる禅師・瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)が能登で初の草庵を結び、宗門拡充の第一歩として開いたのが豊財院(ぶざいいん)という寺です。所蔵する文化財のうち、なかでも珍しいのは歴代住職やその弟子たち7人の血で書写した大般若経の血書です。600巻にも及ぶ大作で、11世月澗(げつかん)和尚が自らの指を刺して半分を、残りの半分は弟子たちが仕上げました。
さらに、山門にぶら下がる梵鐘「はんにゃの鐘」には、ある物語が受け継がれています。昔、滝村(現在の羽咋市滝町)に吉兵衛という大工がおり、生活が安定せず、妻を残して江戸へ働きに出ました。次第に音沙汰がなくなり、妻は江戸で妾ができたのではと疑うようになります。決意した妻は江戸へ向かい、道中、長野の善光寺に立ち寄ります。そこで一人の女性と出会いますが、なんとそれが吉兵衛の妾でした。話を聞けば吉兵衛はすでに亡くなっており、妾はその遺骨を妻に届ける旅の途中で善光寺に立ち寄ったといいます。その後2人が吉兵衛を偲ぶために托鉢の修行に入り、この鐘を造るにいたったのは、なんとも不思議な巡り合わせです。実際、鐘には、2人の尼の名前が刻まれています。
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・伊能忠敬を苦しめた外浦・内浦
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・金沢は街そのものが博物館
・能登の歴史的遺産「千枚田」
・金沢の用水が果たした役割
・坂を上ると世界が変わる?魔性が宿る金沢の坂
・市内に25ヵ所以上の石切り場が存在!小松は日本の宝玉の産地
Part.2 石川を走る交通網のアレコレ
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・活発化する海の玄関口、金沢港
・官民共用で発展する小松飛行場
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・粟崎へ人々を運んだ浅野川電鉄
・石川の伝統工芸が随所にあしらわれた、能登を走る2つの観光列車
・石川県唯一の私鉄、北陸鉄道の歴史をふりかえる
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・縁結びの聖地、恋路海岸に伝わる悲恋伝説
・城郭建築の美を感じる金沢城
・芭蕉や与謝野晶子が愛した加賀四湯
・江戸時代から続く近江町市場
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・那谷寺は胎内くぐりの聖地だった
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・倶利伽羅峠と安宅関で辿る義経の悲劇
・有名古墳&遺跡はココに注目
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Part.4 石川で育まれた文化や産業
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