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加賀の茶の湯文化は前田家の当主たちが普及

加賀藩前田家は、この茶の湯文化に傾倒しました。前田家初代利家は茶の湯を千利休らに学び、豊臣秀吉が天正15(1587)年に開催した茶会「北野大茶湯(おおちゃのゆ)」では実務にあたりました。2代前田利長も同様に茶を学び、前田利長にとって最も怖いのは「千利休の前で茶を点てること」だと述べていることから、点前に対していかに真剣であったかが感じられます。

続く3代前田利常もやはり茶の湯をたしなみ、小松城隠居後の慶安5(1652)年には、利休の孫・宗旦の四男にあたる仙叟宗室(せんそうそうしつ)(後に武者小路千家(むしゃのこうじせんけ)、表千家(おもてせんけ)と並んで三千家と称される裏千家の始祖)を召し抱え、茶の湯文化の保護・奨励に努めました。

小松で茶道茶具奉行となった仙叟は、前田利常が66歳でこの世を去るまで仕え、家臣はもちろん、城に出入りする商人や町人にまで茶道を教えました。このため、小松は特に茶の湯文化が根強い地域です。

仙叟屋敷ならびに玄庵周辺地図

仙叟屋敷ならびに玄庵周辺地図

仙叟屋敷ならびに玄庵は芦城公園内にあります。茶室は仙叟没後300年を記念して、茶道裏千家 15代鵬雲斎汎叟千玄室氏により小松市へ寄贈されました。茶室・茶庭の見学は無料。1週間前までに申し込みが必要となります。

茶の湯の発展とともに加賀に和菓子が浸透した理由

茶の湯が栄えるにつれ、和菓子も普及し始めました。芸術としての質が向上し、寺社菓子や縁起菓子、四季折々の菓子として庶民の暮らしに定着していきました。

庶民に和菓子が浸透したもう1つの要因として、信仰心の厚さが挙げられます。真宗王国といわれた加賀の人々は仏事を大事にしており、報恩講の際には落雁や饅頭、最中が盛大に供えられてきました。これは親鸞聖人の命日である旧暦11月28日前後、その恩に感謝する法要で、今でも「ほんこさん」と呼びならわされています。供えられたお菓子は仏事の後で参加者に分け与えられ、それが門徒の楽しみでもありました。

加賀の和菓子は少々甘め!

加賀の和菓子は、他の地域の同じ菓子よりも少々甘みが強いものがあります。北陸は湿度が高いため、長く保存できるようにと砂糖を多めに入れることがあったそうです。雪が多く寒い土地柄、カロリーを摂取できるように甘みを強めたともいわれます。

また、当時、高級な砂糖としては阿波の和三盆が知られていましたが、なかなか庶民の手が届くものではありませんでした。そこで、和三盆なしでも和菓子の高級感を高めるためにも、砂糖をふんだんに使ったという説もあります。

これらのエピソードが関係あるかは定かではありませんが、加賀はとにかく甘党が多い地域です。アイスクリームにかける都市別1世帯当り支出金額という調査において、直近9年のうち6回トップの座を獲得しているのが金沢市です。寒いからこそ、暖かい部屋やこたつでアイスクリームを食べるのが、金沢の人々にとって冬の醍醐味なのかもしれません。

加賀の和菓子屋の跡継ぎからパティシエになった辻口博啓氏

ちなみに、日本を代表する有名パティシエの辻口博啓氏の実家は、七尾にあった老舗の和菓子屋です。和菓子屋の跡継ぎとして生まれながらパティシエを志したのは、小学生のときに友達の誕生会でイチゴのショートケーキを食べて感動したのがきっかけというのは少し皮肉な話です。しかし、辻口氏の部屋は店の厨房の上にあり、いつも甘い匂いがただよっていたというので、菓子職人になるための環境としては申し分なかったのではないでしょうか。

石川で氷室饅頭を食べる習慣はいつから?

石川県には、氷室饅頭という縁起菓子があります。毎年7月1日(旧暦6月1日)は「氷室の日」と呼ばれ、この日に氷室饅頭を食べると、夏を無病息災で乗り切れるといわれます。

起源は藩政時代。前田家では冬場に積もった雪を氷室と呼ばれる自然の保冷庫に保存し、旧暦6月1日に氷室を開き、貯えた氷を徳川幕府に献上していました。このとき、江戸まで無事に氷が届くようにと神仏に麦饅頭が供えられたため、そこから大事なものの無事や無病息災を祈って饅頭を食べる習慣が今日まで伝わりました。

家庭や職場だけでなく、得意先、果ては娘の嫁ぎ先にまで持参されて親戚や近所に配られるため、7月1日には何個も氷室饅頭を食べることになる人も多いといいます。

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・石川県は天気予報が難しい?能登と加賀の地形と天気
・伊能忠敬を苦しめた外浦・内浦
・珠洲岬はなぜパワースポット?
・霊峰白山と「しらやまさん」
・金沢は街そのものが博物館
・能登の歴史的遺産「千枚田」
・金沢の用水が果たした役割
・坂を上ると世界が変わる?魔性が宿る金沢の坂
・市内に25ヵ所以上の石切り場が存在!小松は日本の宝玉の産地

Part.2 石川を走る交通網のアレコレ

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・活発化する海の玄関口、金沢港
・官民共用で発展する小松飛行場
・路面電車「青電車」が消えた理由
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・粟崎へ人々を運んだ浅野川電鉄
・石川の伝統工芸が随所にあしらわれた、能登を走る2つの観光列車
・石川県唯一の私鉄、北陸鉄道の歴史をふりかえる

Part.3 石川の歴史を深読み!

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・前田家の運命を決めた末森城
・利家の妻が有名なのはなぜ?賢妻としてまつが残した功績
・地名の由来はお坊さん?金沢モダンを象徴した香林坊
・縁結びの聖地、恋路海岸に伝わる悲恋伝説
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・日本在来馬「能登馬」とは?
・「小京都」と呼ばれたくない!金沢で受け継がれる武家文化
・那谷寺は胎内くぐりの聖地だった
・平家の末裔と2つの時国家
・倶利伽羅峠と安宅関で辿る義経の悲劇
・有名古墳&遺跡はココに注目

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Part.4 石川で育まれた文化や産業

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・人間国宝の数が日本一!石川県に息づく伝統工芸の土壌
・古九谷に込めた前田家の対抗心
・あの国宝は実は下絵だった!? 等伯の最高傑作『松林図屏風』
・三文豪が愛した犀川と浅野川
・大伴家持の能登巡行と万葉集
・偉人を輩出した第四高等学校
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・北前船で発展した大野醤油

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