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第四高等学校への改称と校風

明治24(1891)年、赤レンガの本館校舎が完成し、「学都」金沢のシンボルとなりました。当時文部技師であった山口半六、久留正道が設計した建物で、今でも現存する最古の本格西洋建築のひとつといわれます。

明治27(1894)年、高等学校を「男子ノ高等普通教育ヲ完成スル」ための機関と位置付ける高等学校令が公布されると同時に、校名は第四高等学校に改称されました。四高の校風は『超然時習』と『至誠自治』。時を得て学び何事にも動じない心を養うこと、自立して誠を尽くすことを重んじました。

第四高等学校で学んだ「加賀の三太郎」

このような校風を掲げた第四高等学校で、多くの偉人たちが学びました。

『善の研究』で世界的哲学者となった西田幾多郎、『国文学全史 平安朝篇』を刊行して国文学の確立に貢献した藤岡作太郎は同級生として机を並べました。ともに「我尊会」という会を作り、随想や漢詩をもち寄って批評し合う間柄であったといいます。

さらに、禅の思想や日本の精神を生涯発信し続けた鈴木大拙も同時代に学んだ一人。大拙の本名は貞太郎であったため、西田、藤岡とまとめて「加賀の三太郎」と称され、3人の功績は今日まで讃えられています。

第四高等学校で学んだ八田與一は台湾でダムを造った!

西田幾多郎は、のちに第四高等学校で講師として勤めていた時期があります。このとき、西田幾多郎に学んだのが八田與一です。八田與一は日本よりも台湾でのほうが知名度は高いかもしれません。なぜなら、日本統治下の台湾で、嘉南平野の烏山頭(うさんとう)ダムを設計した人物だからです。

数学が得意だった八田與一は、第四高等学校から東京帝国大学土木工学科へ進み、土木の新天地を台湾に求めて24歳のときに渡台。赴任して4年目に技師となりました。

嘉南平野は、河川が少ない不毛の土地として知られ、農民たちは水不足と貧困に悩まされていたため、治水事業が不可欠とされていました。ダム建設を中心とする水利工事は10年にも及び、八田與一は陣頭指揮を執り続けました。

その結果、ダムを水源とする水路「嘉南大圳(たいしゅう)」が完成し、嘉南平野は肥沃な穀倉地帯へと生まれ変わったのです。これにより八田與一は「嘉南大圳の父」と呼ばれ、今でも台湾の人々に尊敬されています

第四高等学校で学んだ作家たち

第四高等学校は作家の輩出も目覚ましいものでした。出身者としては中谷宇吉郎谷口吉郎井上靖らが代表的です。徳田秋聲も第四高等学校で学んだ一人ですが、中退して上京しています。このとき徳田秋聲とともに中退した桐生悠々は、のちに復学。ファシズムを繰り広げたジャーナリストとして知られました。

この桐生悠々を認めたのが、「北國新聞」で編集顧問を務めたことがある石橋忍月という人物で、小説をはじめ、多くの評論を発表しました。時には金沢の風俗や人々の消極性を批判したにも関わらず、レベルの高い評論は読者に大きな刺激と魅力を与えたといわれます。桐生悠々の才能を見出して発表の場を与えるなど、第四高等学校生ら若い才能の発掘にも熱心で、こうして金沢の文化レベルは底上げされていきました。

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