更新日: 2024年1月22日
長谷川等伯の最高傑作・国宝『松林図屏風』は実は下絵だった!?
能登国七尾生まれの長谷川等伯は、狩野派を脅かすほど絵師としての成功を収めました。
運と才能に彩られた人生のなかで、長谷川等伯はどんな作品を生み出したのでしょうか。
目次
長谷川等伯とは
安土桃山時代を代表する画家、長谷川等伯(はせがわとうはく)は、七尾の生まれです。能登国の戦国大名畠山氏の家臣、奥村氏の子として生まれ、幼い頃に染物屋・長谷川家の養子となりました。
当初は信春と名乗り、自らも信徒だった日蓮宗関連の仏画を主に描いていました。しかし、次第に戦乱の影響で仕事が減り、故郷で画業を続けることが困難になったため、33歳の頃に妻と息子を連れて京都へ旅立ちました。
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