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「古九谷」は有田で作られていた!?
山中温泉九谷町にて窯跡が発見されているにも関わらず、古九谷は産地について取り沙汰されます。佐賀県の有田町から古九谷に酷似する破片が発掘されたからです。これにより、古九谷が加賀ではなく有田で作られていたのではないかという疑惑が生じました。
さらに、加賀藩前田家の屋敷があった東京大学本郷構内遺跡でも古九谷らしき破片が見つかり、化学分析によって有田もしくは伊万里焼の素地だと判明したため、さらに産地論争は過熱。
しかし、九谷における調査でも色絵片などが多く見つかっているため、有田で作られていたと言い切るまでには至っていません。
「古九谷」制作にはキリシタンが関与していた!?
もう1つ、古九谷にまつわるおもしろい説があります。制作にはキリシタンが関与していたというものです。実際に、古九谷の作品の一部にはキリスト教を連想させるモチーフが描かれています。
それが事実であれば、古九谷の陶工のなかにキリシタンがいたということになりますが、加賀藩がキリシタン大名である高山右近を召抱えていたことを忘れてはいけません。
「古九谷」の裏の主導者?前田利常がキリシタン大名高山右近から受けた影響
高山右近は、天正15(1587)年に伴天連(ばてれん)追放令が出された後、前田家に招かれて加賀にやってきました。築城の名手として金沢城の修築や高岡城の設計に携わったといわれ、加賀藩との結びつきは深かったようです。実際、前田家2代利長の遺訓書では宛所の4番目に高山右近の名が記されており、3代前田利常の頃には、重臣が名を連ねる書状の筆頭に高山右近が署名しており、重要な地位にいたことが分かります。
前田利長と高山右近は親しく、前田利常も幼少期から高山右近の影響を受けていた可能性が高いと思われます。そのためか、文化を奨励してきた加賀藩のなかでも、最もその傾向が強かったのが3代利常で、実はこの前田利常が古九谷の裏の主導者ではないかという見方もあります。
加賀藩と徳川幕府は緊張状態にあったため、事を荒立てないように努めながらも、徳川家より優れた品を集めたり、幕府よりも高い給料で職人を召し抱えたりと、美術工芸では幕府に負けたくないという思いが強かったようです。幕府が禁止したキリシタンの思想を古九谷にこっそり織り込んで、幕府への憂さを晴らしていたのではないでしょうか。
「古九谷」は有田から追放された日本人陶工によって作られた!?
寛永14(1637)年の3月、佐賀藩が有田から日本人陶工800人余を追放するという出来事が起こりました。表向きは、陶磁器を焼く窯で使用される木材の乱伐を防ぐためといわれますが、その裏にはキリシタン陶工を排除するためだったという見方もあります。
同年6月、前田利常は平戸と長崎に家臣を町人に変装させて派遣しました。茶器や渡来織物の購入に当たらせるための派遣でしたが、このとき、追放された日本人陶工と家臣らを接触させていてもおかしくありません。
10月に島原の乱が起こりますが、同時期に前田利常が大量に雇船しており、このために西国大名たちの出陣に支障を来したといわれているのも興味深いものです。雇船の目的は明らかになっていませんが、多数の陶工が海路で加賀に移送されたと想像するのは難しくないでしょう。
「古九谷」は多くの人を魅了する
前田利常は万治元(1658)年に死没しており、古九谷の始まりは明暦元(1655)年頃といわれるため、一見嚙み合いません。しかし、この頃に生産が始まっていたとしても、そのための窯はもっと前から作られていたと見るべきでしょう。つまり、プロジェクトとしてはもっと早い段階で始動していたと考えると、述べてきた説が一気に現実味を帯びてきます。
単なる工芸品と呼ぶにはあまりに考察の余地がある奥深さに、多くの人が魅了されるのかもしれません。
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