目次
兼六園の歴史は前田綱紀の別荘の庭園から
築庭自体は、まだ兼六園という名がつく前の延宝4(1676)年、前田家5代綱紀の時代からおこなわれてきました。
慶長6(1601)年、のちに2代将軍となる徳川秀忠の娘・珠姫(たまひめ)が輿入れした際、江戸から付いてきた300人ものお供のために長屋が設けられ、その場所は江戸町と呼ばれました。珠姫の没後、住人たちは江戸に帰り、長屋はまもなく取り壊されることになり、その跡地には、万治2(1659)年、建築や営繕(えいぜん)を担当する作事所が移築されました。
この作事所を綱紀が再び城内へ戻して自身の別荘を建て、その周りを庭園化したのが築庭の始まりといわれます。
兼六園の中心的役割の霞ヶ池
庭のほぼ中心にある霞ヶ池(かすみがいけ)は、園で最大の池。面積は約5800㎡、深さは最も深いところで1.5mあり、そこに集まるように見どころが配置されています。
池のほとりの徽軫灯籠(ことじとうろう)は、琴柱に似ていることから名付けられました。一脚は水中、もう一脚は陸に配置されているため、両脚の長さが異なりますが、それがアンバランスな美しさを醸しています。
兼六園の景観に欠かせない唐崎松には後継ぎが用意されている!
唐崎松(からさきのまつ)も霞ヶ池にあります。兼六園冬の風物詩「雪吊り」は、この松から作業開始となります。13代藩主斉泰(なりやす)が琵琶湖畔の唐崎から種子を取り寄せて育てた黒松で、樹齢は200年近くになります。
兼六園の景観に欠かせない名物といっても過言ではない松ですが、この松には後継ぎが用意されています。というのも、いつかはくる松の寿命に備えているからです。管理事務所は、園内と金沢市内にある庭木の育成場で、跡継ぎ候補となる苗木や若木を育てています。ただ育てるだけでなく、見た目が初代とそっくりになるような努力が成されているというから驚きです。
兼六園「明治紀念標」が建立された歴史
兼六園が一般開放にいたったのは、廃藩後の明治7(1874)年です。この頃、加賀藩出身者や金沢は明治政府から冷たい扱いを受けていました。幕末の加賀藩が倒幕派と佐幕派のどちらにもつかず、そのまま幕府が倒れてしまったため、加賀藩は日和見していたと見なされたからです。
しかし、明治10(1877)年、明治政府に対して西郷隆盛が反乱を起こした西南戦争で、旧加賀藩の士族は名誉挽回のため政府軍に加わり、西郷軍と戦いました。その結果、390人ほどの士族が戦死したといいます。この魂を慰めるために建立されたのが、園内にある「明治紀念標(めいじきねんのひょう)」、通称日本武尊(やまとたけるのみこと)の銅像です。古代神話で九州の種族を平定した英雄になぞらえて、薩摩の士族との争いで戦死した人々を慰霊したといわれます。
兼六園の「明治紀念標」はハトに嫌われている!?
この日本武尊像は、なぜか昔から鳥の糞で汚れることがありませんでした。そこに着目した金沢大学名誉教授の廣瀬幸雄氏がこの像の成分を分析した結果、ヒ素と鉛が他の銅像よりも多く含有されていることが判明。これを鳥が嫌がっているのではないかと結論付けました。『ハトに嫌われた銅像の化学的考察』というこの研究は、2003年にイグノーベル賞を受賞しています。
兼六園
- 住所
- 石川県金沢市兼六町1
- 交通
- JR金沢駅から北陸鉄道バス6・7番乗り場兼六園方面行きで20分、兼六園下・金沢城下車、徒歩5分
- 料金
- 入園料=大人320円、小人(6歳以上18歳未満)100円、5歳以下無料/(11月3日は無料、65歳以上は身分証持参・障がい者は障がい者手帳持参で入園料無料)
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