更新日: 2024年1月22日
兼六園の歴史~前田藩主の別荘庭としてつくられた理想の庭!六の数字に込められた意味とは?~
金沢の名園「兼六園」は、何代もの加賀藩主によって形作られてきました。
名前の由来や、見どころにまつわるエピソードは、庭の新たな魅力を教えてくれます。
目次
兼六園の名前の由来とは
特別名勝「兼六園」は、江戸時代の代表的な林泉廻遊式庭園として知られ、岡山の後楽園、水戸の偕楽園とともに「日本三名園」と称されます。金沢市兼六町にあるため、兼六園という名前にまったく違和感はありませんが、実はこの地名が由来というわけではありません。
兼六園の「六」の意味
六の数字は「六勝(6つの景勝)」を意味します。宋の詩人・李格非(りかくひ)の書いた『洛陽名園記』という書物の中にある“宏大に務むれば幽邃(ゆうすい)少し、人力すぐれば蒼古乏し、水泉多ければ眺望難し”という文を参考にしたといわれます。名園の資格について触れたもので、“広々としていれば(宏大)静かな奥深さ(幽邃)はなく、人工的であれば(人力)古びた趣(蒼古)は少なくなる。また池や曲水や滝(水泉)が多ければ、遠くは眺められない(眺望)”と、すべてが同時に成り立つのは難しいと述べています。
しかし、兼六園は相反するこの六勝をすべて兼ね備える庭というところからこの名前が付けられました。
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