更新日: 2024年1月26日
平時忠の生涯とその息子によって誕生した時国家!壇ノ浦の戦いのあと平家はどうなった?
平家のなかでも比類なき権力を誇った平時忠は、壇ノ浦の戦いで敗北し、能登へ流罪となりました。
辿り着いた能登で、平家の末裔はどのように生きたのでしょうか。
目次
平時忠とは
平清盛に象徴されるように、平家の栄華は誰もが知るところですが、清盛の義弟にあたる平時忠も権威を誇った人物として知られます。
平時忠は清盛の妻・時子の弟で、後白河天皇の寵愛を一身に受けたといわれる滋子(しげこ)を妹にもちます。また、平時子の娘が安徳天皇の母であるという華麗な家系のなかで権勢をほしいままにし、「平関白」とまで呼ばれたほどです。
「平家にあらずんば人にあらず」という平家をたたえた有名な発言も平時忠によるものです。
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