トップ > カルチャー >  北陸 > 石川県 >

能登馬の始まりと竹内虎松

明治時代、柳田村には15代竹内虎松という政治家がいました。勝海舟に師事した後、県会議員を経て衆議院議員に当選して活躍した人物です。

地元の鉄道事業や殖産興業に力を注ぐ一方で、馬産にもただならぬ情熱を注ぎました。この虎松が在来血統を改良した馬が「虎松馬」と呼ばれ、優秀な使役馬として、関西や中京地方にも売られたようです。

能登馬の歴史と優秀さ

虎松が明治42(1909)年に残した文書では、13代虎松の口述による歴史が綴られており、8代虎松の頃に関して、「頭に角のある1頭の牝馬が生んだ子はすべて良馬だった」と記されています。その牝馬が生んだ馬は青毛(濃い青味を帯びた黒の毛色)が多く、性格は温順だが、重い荷物を背負って石を踏んでも蹄がまったく傷まなかったといいます。

もともと馬産の歴史が受け継がれていた竹内家では、「馬の飼育は豆よりも人の足跡」という祖先の遺訓が残り、馬の個性をよく観察し、正しく懇切に愛育するという方針が代々受け継がれました。種牡馬は特にこだわらず良い馬を選び、牝馬の血統を大事に守っていたようです。その甲斐あってか、竹内家の馬産史においては不受胎や難産、死産がほとんどなく、どの馬も長命であったとも記されています。

『旧柳田村史』によると、能登馬の生産が盛りを迎えたのは日露戦争の頃。旧陸軍第9師団の将校用軍馬の大半に能登馬が充てられたというから、その優秀さは折り紙付きだったようです。

能登半島の珠洲で活躍した柴馬

一方、能登半島の先端、珠洲(すず)では「柴馬」と呼ばれる馬が活躍しました。珠洲には、江戸時代より始まった「揚げ浜式製塩」の伝統があります。砂浜にある塩田に海水を撒き、塩分を濃縮させた砂を海水でさらに漉し、塩分の高い鹹水(かんすい)を作り、それを大釜で煮るという製法です。

珠洲では、塩焚きに必要な塩木(薪)を得やすいことから製塩が盛んになりましたが、この塩木となる柴や雑木を山から海へと運んだのが柴馬でした。能登馬より小柄で、灰色を帯びた鹿毛(かげ)馬(茶色だが、長毛と四肢の下部は黒)が多かったといわれます。

農家の半数が1~2頭の柴馬を飼っていたという記録が残っており、そのうち農民以外の稼ぎ人の割合は塩田に関わる者が半数を占めました。

昭和初期に製塩業が廃止になると、馬の数は激減。昭和12(1937)年時点で残っていた18頭を軍馬として送り出したのを最後に、珠洲から馬の姿は消えてしまいました。

珠洲に残る馬と付く地名

珠洲には、馬と付く地名が今も残ります。鳳至、珠洲の郡境に位置した馬渡(まわたり)地区は、中世、街道筋の要衝でした。地名辞典にその由来は不詳とありますが、ここから山1つを隔てた能登町には駒渡(こまわたり)という地区があり、駒が子馬を意味することから、かつてはともに馬産地だったのではないかと考えられています。

また、馬緤(まつなぎ)という地名も残ります。源義経が奥州落ちの際に能登を経由したといわれますが、この地区の浜に馬をつないだことに由来するという説があるようです。

ちなみに、この馬緤にある常俊(つねとし)家で馬のものといわれる角が受け継がれているのも興味深いです。地名の確かな由来を知る由もありませんが、馬との深い結びつきがあったことは明白です。

『石川のトリセツ』好評発売中!

地形、交通、歴史、産業…あらゆる角度から石川県を分析!
石川県の地形や地質、歴史、文化、産業など多彩な特徴と魅力を、地図を読み解きながら紹介するマップエンターテインメント。石川の知っているようで知られていない意外な素顔に迫ります。地図を片手に、思わず行って確かめてみたくなる情報満載!

Part.1 地図で読み解く石川の大地

・石川県は天気予報が難しい?能登と加賀の地形と天気
・伊能忠敬を苦しめた外浦・内浦
・珠洲岬はなぜパワースポット?
・霊峰白山と「しらやまさん」
・金沢は街そのものが博物館
・能登の歴史的遺産「千枚田」
・金沢の用水が果たした役割
・坂を上ると世界が変わる?魔性が宿る金沢の坂
・市内に25ヵ所以上の石切り場が存在!小松は日本の宝玉の産地

Part.2 石川を走る交通網のアレコレ

・開業後、石川はどう変わったか?北陸新幹線のココがすごい!
・活発化する海の玄関口、金沢港
・官民共用で発展する小松飛行場
・路面電車「青電車」が消えた理由
・鉄道交通の要「金沢駅」の誕生秘話
・粟崎へ人々を運んだ浅野川電鉄
・石川の伝統工芸が随所にあしらわれた、能登を走る2つの観光列車
・石川県唯一の私鉄、北陸鉄道の歴史をふりかえる

Part.3 石川の歴史を深読み!

・実は3代利常が名君だった!
・前田家の運命を決めた末森城
・利家の妻が有名なのはなぜ?賢妻としてまつが残した功績
・地名の由来はお坊さん?金沢モダンを象徴した香林坊
・縁結びの聖地、恋路海岸に伝わる悲恋伝説
・城郭建築の美を感じる金沢城
・芭蕉や与謝野晶子が愛した加賀四湯
・江戸時代から続く近江町市場
・日本在来馬「能登馬」とは?
・「小京都」と呼ばれたくない!金沢で受け継がれる武家文化
・那谷寺は胎内くぐりの聖地だった
・平家の末裔と2つの時国家
・倶利伽羅峠と安宅関で辿る義経の悲劇
・有名古墳&遺跡はココに注目

…etc.

Part.4 石川で育まれた文化や産業

・六の数字に込められた意味とは?日本三名園「兼六園」は理想の庭
・人間国宝の数が日本一!石川県に息づく伝統工芸の土壌
・古九谷に込めた前田家の対抗心
・あの国宝は実は下絵だった!? 等伯の最高傑作『松林図屏風』
・三文豪が愛した犀川と浅野川
・大伴家持の能登巡行と万葉集
・偉人を輩出した第四高等学校
・祭りのない金沢、祭り天国能登
・和倉温泉と日本一の宿「加賀屋」
・県民の寿司愛と豊富な海の幸
・北前船で発展した大野醤油

…etc.

『石川のトリセツ』を購入するならこちら

リンク先での売上の一部が当サイトに還元される場合があります。
1 2

記事をシェア

※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!

エリア

トップ > カルチャー >  北陸 > 石川県 >

この記事に関連するタグ