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金沢城に天守閣がない理由

城といえば天守閣を思い浮かべる人が多いでしょうが、金沢城には天守閣がありません。慶長7(1602)年の落雷によって焼け落ちてしまったからです。

前田家の財力を考えると再建は難しくなかったはずですが、このときの加賀藩主前田利長は、天守閣ではなく、控えめな三階櫓を建てました。この頃、前田利長は徳川家康にたびたび謀反を疑われるなど、幕府と加賀藩は緊張関係にありました。大名の力を象徴する天守閣に徳川家が目を光らせていたため、派手な天守閣を造ることはためらわれたようです。

実際、城郭を増築したために徳川家に睨まれ、石高を没収された大名もおり、前田利長の判断は賢明であったといえます。

金沢城の屋根がすべて鉛瓦の理由

天守閣がないのは城として物足りないかもしれませんが、屋根すべてが鉛瓦という特徴は唯一無二です。

鉛を使った理由は明らかになっていませんが、江戸城(現在は焼失)にも使われており、古文書には「鉛瓦を使用したのは名城の姿を壮美にするため」と書かれていたようです。

鉛瓦は白っぽく見えるため、確かに優美ではあります。しかし別の説では、いざ戦となったときに、瓦の鉛を使って鉄砲の弾丸を造る目的があったともいわれています。

幕府の討伐を警戒していた加賀藩は、城を挟むように流れる犀川(さいがわ)と浅野川を自然の濠に見立て、2つの川の外側に寺院群を配備し、城の防備としました。妙立寺(みょうりゅうじ)にも、有事の際の出城としての役割をもたせており、これだけ加賀藩が幕府の動きに用心していたことを考えると、弾丸説の信憑性も捨てがたいのです。

金沢城は「石垣の博物館」

金沢城は、「石垣の博物館」とも呼ばれます。石垣の種類の多さや美しさはもちろん、石垣づくりの秘伝書、石を切り出した丁場、石引き道の存在など、石垣に関する歴史資料や環境が残っているからです。

最も金沢城らしいといわれる石垣は、玉泉院丸庭園(ぎょくせんいんまるていえん)にあります。石同士を隙間なく合わせて積み上げていく切石積みという技法で、しかもすべて形の違う石が使われているため、大変な労力が見て取れます。

金沢市郊外で産出される戸室石(とむろいし)には、茶系の赤戸室と灰色系の青戸室がありますが、それらを組み合わせてパッチワークのような色使いになっているところも興味深いです。

金沢城のミステリアスな魅力

その隣にある石垣には、謎の刻印が刻まれています。他の藩の石垣にも刻印は見られますが、金沢城は種類が200以上と多いです。

これは百万石を支えた家臣の多さに関連する可能性があるといわれ、それぞれの石垣を担当した家臣の識別マークだという説や、石を切り出して加工した者を識別するためという説もあります。

はっきりとした用途は分かっていませんが、金沢城のミステリアスな魅力を深めています。

金沢城の鼠多門の特徴

何度かの火災によって焼失部分が多かったですが、少しずつ復元作業が進められ、2020年には鼠多門(ねずみたもん)が約140年ぶりによみがえりました。

他の門と同じく海鼠壁(なまこかべ)が使われていますが、海鼠壁の目地が黒漆喰で仕上げられている点は他の門にはない特徴です。

金沢城の「石川門」が金沢大学の「白門」に

門といえば、石川門・河北門・橋爪門は金沢城の三御門といわれます。このうちの石川門は、昭和24(1949)年からの45年間、城内に置かれた金沢大学の正門となりました。

東京大学の本郷キャンパスにある「赤門」は、加賀藩江戸上屋敷に建てられたもので、これに対して石川門は白壁の美しさから「白門」と呼ばれました。

城に存在した大学は世界で2校、ドイツのハイデルベルク大学と金沢大学のみです。

金沢城の「石川門」が金沢大学の「白門」に

金沢城の東に位置する石川門。

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