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末森城の戦いは前田家の運命を決めた!前田利家 VS 佐々成政とその後 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月26日

末森城の戦いは前田家の運命を決めた!前田利家 VS 佐々成政とその後

前田家にとっての“桶狭間”といわれる末森城の合戦。
かつて同僚だった成政と利家が家康派と秀吉派として戦い、前田家所領の拡大にも大きくつながりました。

末森城の戦い前の前田利家と佐々成政の関係

前田利家は、越中の佐々成政(さっさなりまさ)と激しい合戦を繰り返したことで知られています。前田利家は、15歳のときから織田信長に仕えており、けんか好きで血気盛ん、一本気で裏表のない性格で信長に目をかけられていたといいます。

当時、戦国武将の側近軍団は母衣衆(ほろしゅう)といわれ、エリート中のエリートだけが入ることができる精鋭集団でした。信長の母衣衆には赤と黒の2部隊が存在し、前田利家は赤の筆頭として武勲を重ねました。

一方、黒の母衣衆のなかで頭角を現しつつあったのが佐々成政です。前田利家と佐々成政は同年代で、信長のもとで互いに手柄を立てながら何度も死線をともにした仲でした。

しかし、本能寺の変で信長がこの世を去ったことで状況は一変。豊臣秀吉と徳川家康による天下取りが始まると、前田利家はかねてより親交のあった秀吉に、秀吉を嫌っていた佐々成政は家康に同調し、かつて同僚であった二人は敵対関係となってしまいます。

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