目次
前田利家の嫡男・前田利長が加賀百万石を統治
前田家の初代として華々しい功績を誇る前田利家ですが、実は利家自身が百万石を有したことは一度もありません。
実質百万石に達したのは利家の嫡男・前田利長(としなが)の代からであり、ここで初めて前田家の地位が確固たるものになったといえるでしょう。利家は晩年ほとんど京や大阪にいることが多かったため、この頃加賀を治めていたのも前田利長であり、後に高岡の町を開くまでに至りました。
ちなみにこの前田利長は前田家2代目ではありますが、加賀藩としては初代藩主として位置づけられ、江戸幕府に仕えていない利家は藩祖として呼び分けられます。
3代・前田利常が農政制度を確立
特に名君として知られるのは、利長の隠居後に家督を継いだ3代・前田利常(としつね)です。
前田利常は、幕府に次ぐ石高を誇った加賀藩を警戒する幕府との関係維持に努めながら、十村制(とむらせい)という農政制度を確立。十村と呼ばれる地方の有力な農民を現場監督として利用することで、農村全体を管理監督し、徴税を円滑に進めることを目的としました。
約10の村を束ねる役割を担っていたために十村と称しましたが、後には数十もの村を束ねる十村も現れたといいます。この十村制を含む改革は幕末まで加賀藩の農政の礎となり、卓越した政治手腕で知られた長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)などが築いた土佐藩をさしおいて「政治は一加賀、二土佐」と称えられるほどでした。
前田利常が石川県の文化の基礎を築く
こうして獲得した財源で、前田利常は文化政策に力を注ぎました。今日まで石川県に残る伝統工芸や美術品の多くは、前田利常の文化奨励によって生まれたといっても過言ではありません。
書籍の収集、庭園や社寺の建築を進め、茶道や能、絵画なども厚く保護しながら、江戸にも引けを取らない文化の基礎を築いたのです。
前田利常に関する逸話
いかにもやり手といった功績を残した前田利常ですが、数々の奇行も語り継がれます。最も有名なのは、鼻毛を伸ばして阿呆の殿様を演じていたというものです。
一説によると、百万石の大名が利口だと幕府からの警戒が強まることを見越したうえでの行動だったといわれますが、名君と暗君を演じ分けるようなこの逸話は、「かぶき者」といわれた前田利家から受け継いだ血を色濃く感じさせるものです。
前田利常の思いは5代綱紀へ
前田利常の思いは、前田家5代綱紀(つなのり)へと受け継がれました。
4代光高(みつたか)が早世だったため、前田利常の後見を受けながら3歳の若さで家督を継いだ綱紀は、前田利常の代で盛んになった工芸や文化を発展させ、武家文化を本格的に開花させていくこととなりました。
前田利常の存在なくして加賀百万石は語れない
加賀藩を支えた歴代藩主たちは、現在野田山(のだやま)墓地に眠ります。利家の実兄・利久がこの地に葬られたのをきっかけに、以降歴代藩主とその正室のほとんどが葬られました。
藩祖・利家の存在が大きいのは言うまでもありませんが、百万石の栄華を語るうえで、しっかりと発展への足場を固めた前田利常の存在は欠かせないのです。
大名クラスの石高を誇った「加賀八家」
江戸幕府から警戒されるほどの石高を有した加賀藩は、「9人もの大名がいた」といわれます。もちろん正式な大名は加賀藩藩主の前田家のみですが、加賀藩には大名並となる1万石以上の石高を有した年寄役が8人もいたからです。
本多家や横山家を筆頭としたこの最上級の藩士たちは「加賀八家(はっか)」と呼ばれ、いずれも藩主家の一族や藩政成立期に多大な功績のあった家として綱紀のときに選ばれました。
八家の当主は月ごとに交代で政務の責任を受けもつ月番(つきばん)に就任し、当番月の場合は御用番と呼ばれて藩政全般を統括していたことからも、家臣のなかで別格であったことが分かります。
廃藩まで世襲され、加賀藩の藩政を支えた八家のうち6家の墓所が、前田家歴代藩主らの墓を取り囲むように野田山墓地に設けられています。
藩祖・利家は遺言状に、古くからの家臣を大事にすること、優れた家臣を優遇することなどをしたためるほど家臣への気配りを怠らない人物でした。藩政の舵取りをおこなうほど優れた家老たちを輩出したところも、加賀藩ならではといえるでしょう。
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