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朝野川電鉄の歴史と当時の文化

遊園に先駆けて登場したのが、浅野川電鉄、通称「浅電」です。平澤をはじめ、地元有力者が共同で設立しました。当初は七ツ屋~新須崎間のみでしたが、翌年には金沢駅前~七ツ屋間も開通

当時の最新式ボギー電車を車両に採用し、金沢からは浅電に乗って多くの若者やカップル、家族連れ、会社の慰安旅行などの客がやってくるようになり、内灘は賑わいを見せました。

昭和に入ると、ラッパズボンのモダンボーイ、断髪姿のモダンガールが金沢にも散見されるようになり、モボ・モガと呼ばれました。中心地の香林坊あたりでは人目を気にし、上着で衣装を隠していた彼らは、浅電に乗るとモボ・モガファッションになって最先端のファッションを楽しんだといます。

昭和初期の浅野川電鉄と粟ヶ崎遊園は大盛況だった

粟ヶ崎遊園の大劇場は1000人を収容でき、少女歌劇や、新国劇の川上一郎一座の演劇が人気を博しました。昭和を代表するコメディアンの益田喜頓(ますだきいとん)も出演したことがあり、一流の出演者によるステージに人々は酔いしれました。

昭和4(1929)年1月には放火があり、本館右側(余興場側)を焼失するという出来事が起こりました。しかし4月上旬には早々と復興して再開しただけでなく、以前にも増して豪華に。

浅野川電鉄もこの頃から、遊園から海側までの新須崎~粟ヶ崎海岸の営業を開始しました。この時期の浅野川電鉄は、朝5時半から夜11時まで運行するほど利用者で賑わいました。夏場には電車賃が3割引となり、遊園と海水浴場のセット切符も販売され、集客に力を入れていたことがうかがえます。

粟ヶ崎遊園の閉園

昭和12(1937)年頃になると戦時色が濃くなり、遊園の勢いにも陰りが出始めます。華やかなレヴューより軍国調の舞台が上演されるようになり、戦時体制が強まるにつれて客足は遠のき、昭和16(1941)年にはとうとう閉園に追い込まれました。

その後は軍の仮兵舎として利用され、ここで訓練をした多くの兵士たちが戦場で散っていったといわれています。

わずかに現存する粟ヶ崎遊園の遺構

戦後、建物はほとんど解体されてしまいましたが、本館正面にあったアーチ型のゲートだけが今も残されており、「歴史民俗資料館 風と砂の館」の横に移築、保存されています。資料館では遊園の写真やポスターなどが展示され、当時の人々が熱狂した娯楽に思いを馳せることができます。

浅野川電鉄の歴史は北陸鉄道浅野川線へ引き継がれる

浅野川電鉄は昭和20(1945)年に北陸鉄道と合併。北陸鉄道浅野川線として生まれ変わり、金沢駅前駅は「北鉄金沢駅」となりました。

粟ヶ崎遊園前駅は少し移動して「内灘駅」に改称されましたが、内灘駅以降はすべて廃線となり、線路、駅舎も撤去されてしまっています。しかし、浅野川電鉄は現在も運行を続けており、金沢駅と内灘駅を約15分で結ぶ路線は人々の生活に欠かせません。

線路は急カ-ブが多くスピードを出せないため、随所で35km/h制限があるのが特徴です。

2001年には北鉄金沢~七ツ屋が新線に切り替えられて地下化。北鉄金沢駅は、北陸初の地下駅となりました。地下化に伴った火災対策として車両を不燃化する必要があったため、それまでの半鋼製車体車両は元京王電鉄の井の頭線を走っていたステンレス製の3000系に替わりました。北陸鉄道8000系として運行されてきましたが、2020年末より、東京メトロのアルミ車体03系への置き換えが始まっています

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・伊能忠敬を苦しめた外浦・内浦
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・霊峰白山と「しらやまさん」
・金沢は街そのものが博物館
・能登の歴史的遺産「千枚田」
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・坂を上ると世界が変わる?魔性が宿る金沢の坂
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Part.2 石川を走る交通網のアレコレ

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・官民共用で発展する小松飛行場
・路面電車「青電車」が消えた理由
・鉄道交通の要「金沢駅」の誕生秘話
・粟崎へ人々を運んだ浅野川電鉄
・石川の伝統工芸が随所にあしらわれた、能登を走る2つの観光列車
・石川県唯一の私鉄、北陸鉄道の歴史をふりかえる

Part.3 石川の歴史を深読み!

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・地名の由来はお坊さん?金沢モダンを象徴した香林坊
・縁結びの聖地、恋路海岸に伝わる悲恋伝説
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・日本在来馬「能登馬」とは?
・「小京都」と呼ばれたくない!金沢で受け継がれる武家文化
・那谷寺は胎内くぐりの聖地だった
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・倶利伽羅峠と安宅関で辿る義経の悲劇
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Part.4 石川で育まれた文化や産業

・六の数字に込められた意味とは?日本三名園「兼六園」は理想の庭
・人間国宝の数が日本一!石川県に息づく伝統工芸の土壌
・古九谷に込めた前田家の対抗心
・あの国宝は実は下絵だった!? 等伯の最高傑作『松林図屏風』
・三文豪が愛した犀川と浅野川
・大伴家持の能登巡行と万葉集
・偉人を輩出した第四高等学校
・祭りのない金沢、祭り天国能登
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・県民の寿司愛と豊富な海の幸
・北前船で発展した大野醤油

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