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辰巳用水は犀川上流の上辰巳町から取水

金沢の地形を特徴づけるものとして、犀川と浅野川、そして2つの川によって形成された寺町台地や小立野(こだつの)台地、卯辰山(うたつやま)丘陵地があります。この高台のために、金沢の街は起伏が多いのです。なかでも小立野台地はひときわ高く、金沢城はその先端に築城されました。

この立地に対し、どこから取水するのでしょうか。議論の末、犀川上流にあたる現在の上辰巳町からの取水が決まったのです。

辰巳用水は優れた技術の賜物

犀川と城の間には小立野台地があったこと、水路の一部がトンネルとなったことからいくつかの難工事を含みましたが、申請の許可が下りてからわずか1年で辰巳用水を完成させたのは、 優れた技術の賜物です。

城内への通水にあたり、いったん兼六園の霞ヶ池に貯水。そこから地下の導水管を利用し、逆サイフォンの手法で内堀へと引き上げ、さらに一段高い二の丸御殿の庭へ水を引くことを可能にしました。

これほどの工事が約400年も昔におこなわれたのは当時革新的なことでした。

金沢の用水は日常生活に活用されていた

一方、鞍月用水(くらつきようすい)は、人々の暮らしに深く関わるものでした。香林坊(こうりんぼう)から程近いエリアを流れ、この用水に沿って整備された通りは「せせらぎ通り」と呼ばれます。

菊川地区などでは染物職人の洗い水として利用され、油車(あぶらぐるま)あたりでは油絞りに代わって水車が精米・製粉で活躍。防火や散水にも使われ、冬には雪を捨てるための場としても活用されました。

生活と密接していた鞍月用水の衛生面を維持することは、すべての住民が守るべきマナーだったようです。

金沢を代表する用水「大野庄用水」

もう1つ、金沢を代表する用水は大野庄用水(おおのしょうようすい)で、金沢で最古の歴史をもちます。天正18 (1590)年ごろに造られたといわれ、金沢城築城のための建築材料を運ぶという役割を果たしていました。

長町武家屋敷跡の近くを流れており、用水近くの屋敷では、用水を庭に引き込んで、鯉を放って楽しんだといわれます。現在も屋敷内庭園の曲水に利用されており、風情ただよう長町の景観になくてはならないものです。

金沢の用水の近代から現代の様子

これだけ金沢の歴史や暮らしに関わってきた用水ですが、自動車が普及し始めると邪魔者と見なされるようになりました。太平洋戦争の空襲を免れた金沢は古い道がそのまま残っており、自動車が走るには狭すぎたのです。

そこで用水に蓋をすることで道幅を広げたり、駐車スペースとして利用されるなどして、金沢の用水はどんどん封じられていきました

用水を軽んじる動きに警鐘を鳴らし、せせらぎのある生活を取り戻すために、金沢市は1996年に用水保全条例を制定。これは全国初かつ現在でもまれな条例です。以降、金沢市が費用を負担して用水の蓋を取り除き、用水沿いを散策できるように道を整備してきました。

さらに、年間通水を確保し、清掃を定期的におこなって清流を保つことや、水生生物の生息に配慮した用水環境を形成することも条例で定められています。

こうして再生されつつある用水を横目に散策を楽しむのも、金沢の街歩きの醍醐味なのです。

金沢中心部の用水マップ

金沢中心部の用水マップ

網目状に張り巡らされた用水。金沢の街を歩くと、いたるところでせせらぎを感じられます。ほとんどの用水が、犀川か浅野川を水源としています。

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