更新日: 2024年1月26日
辰巳用水を代表に金沢市内に残る55もの用水が果たした役割とは?
金沢市には、ほかの都市よりもはるかに多い数の用水が流れます。
城のため、農業のため、そして人々の生活において、金沢の用水の存在は欠かせないものでした。
目次
金沢の用水と辰巳用水造成のきっかけ
江戸時代の用水がほぼそのまま残る金沢の街。現在も、犀川や浅野川などから取水する55本の用水が金沢市内を流れます。この数はほかの都市とは比べものにならないほど多く、その総延長は約150kmにも及ぶといわれます。
これほどまでに多い用水の大半はもともと農業用水として引かれたものですが、なかにはそれ以外の目的で造られた用水もあり、その代表が辰巳用水(たつみようすい)です。
きっかけは、寛永8(1631)年の寛永の大火。金沢城を含めて街の大半を焼き尽くしたこの火災によって、加賀藩は防火用水の整備を決断。水路造成を幕府に申請し、辰巳用水の造成にいたったのです。
※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。
まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!