目次
金沢城下町は人口の増加で独特な町並みに
小松で隠居していた前田利常が死没すると、小松に住んでいた藩士たちが一斉に金沢へ移住したために城下の宅地が不足。相対請地はいっそう活発になりました。
藩の都市計画地の外では、相対請地の農道沿いに家が建てられたため、小さな路地や曲がりくねった道に軒が連なりました。
本来、農地を売ることも貸すことも禁止されていましたが、宅地不足のために相対請地は当時黙認されていたようです。
金沢城下町のなかの町
城下にも同様に、細く区切られた直線や細く曲がりくねった道が存在していました。加賀藩は、知行3千石以上の藩士に、城下にそれぞれの屋敷が集まった土地は「家中町(かっちゅうまち)」といわれました。
たとえば現在の本多町が家中町の良い例で、加賀八家の一人、年寄役の本多家の家来が多く住んでいたエリアです。
家中町は、まるで城下のなかにさらに城下があるかのようで、街路が入り混じるなかで家臣たちが軒を連ねていました。
金沢城下の「長町」
武家屋敷跡で知られる長町も、藩政期の雰囲気をたっぷりと残します。
石畳敷きの路地は、直角に曲がる場所が2か所あり、複雑に入り組んでいます。これは外敵の侵入を食い止めるためで、万が一敵が入り込んだとしても、逃げ場がないような錯覚を起こさせることを目的としました。
また、路地を囲む堅牢な土塀は、その上から鉄砲や弓矢で敵を攻撃することを想定されていたといわれます。
金沢城下町は江戸時代と現在の道はほぼ変わらない
昔の街並みが残る金沢は、江戸時代の古地図と現在の地図の道筋がほぼ重なり合います。このため、「街そのものが博物館である」と称える声が多いのです。
江戸時代の古地図を見ると、金沢城を中心に広がる同心円と何本もの放射線で区切られた区画があり、そこに藩士の家々が密集していたことが分かります。さらに、各家に藩士の名前が記入されているのを見れば、自分が住む土地に、江戸時代は何という名前の藩士が住んでいたのかを読み取ることができるのです。
こうして昔ながらの街の輪郭が受け継がれている理由は、第二次世界大戦の空襲を免れた幸運に他なりません。
しかし、米空軍基地で見つかった作戦計画書によれば、米軍が文化都市金沢の街並みを評価して空襲を回避したような形跡は特に見られないのです。それどころか、米軍が8月6日付で作成した週間作戦報告書に攻撃目標として記されていた12都市の筆頭は金沢だったといわれます。
もし終戦があと数日遅かったら、今の金沢の姿はずいぶんと違ったものだったかもしれません。
江戸時代と現在の金沢
弘化・嘉永期の金府大絵図に描かれた金沢と比較すると、街の大きな骨組みはほぼそのまま残っていることが分かります。大通りから少し路地に入ると迷路のようになっている道筋もほとんど変わりません。
金沢城下町の歴史を物語る約6000件が現存する金澤町家
金沢が戦争で空襲を免れた恩恵として、古い木造建築も多く残されています。
なかでも代表的なものは、『金澤町家』です。昭和25(1950)年以前に建てられ、金沢の伝統や文化を伝える造りや意匠をもつ建築物を総称しています。
そのなかでさらに種類が分かれており、形態や外観の特徴がそれぞれ異なります。商人や職人が住んでいた都市住宅の形式である「町家」、武家屋敷や足軽住宅の流れを継承した「武士系住宅」、明治維新後の近代化による西洋文明の影響を受けた「近代和風住宅」などがあります。
市内には老舗の商家や住宅など約6000件が現存しており、なかでも藩政期に商店が集中していた尾張町は、昔ながらの町家建築で今も商売を続けているところが多いのです。
また、カフェやレストラン、あるいは移住者の住居として、町家をリノベーションして再生活用する動きも活発です。
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